カトリック信徒は離婚できないのが通例
宗教は古代から世界中の人々の生活に根ざして信仰されたり利用されたりしてきました。
その中でも現在の世界最大宗教といえばキリスト教です。
キリスト教は、その教義の違いにより主に以下の3つの宗派に分かれます↓
- ローマ・カトリック
- プロテスタント
- 東方正教会
今回はその三者の違い及び歴史をお話します。

なんやて、キリスト教各宗派の違いと歴史を解説やて!!!??
こら要チェックや〜!!
本記事の構成は以下の通りです↓
➀キリスト教とは
ー㋐カトリックの概要
ー㋑プロテスタントの概要
ー㋒東方正教会の概要
②キリスト教の儀式や行事
③分裂の歴史
では始めます!
キリスト教とは
宗派の違いを説明する前に、まずはキリスト教の概要をサラッとおさらいしましょう!
紀元前7~4年ごろ、ユダヤ教徒の女性マリアが処女なのに懐妊して産まれた奇跡の子がイエスです。
男性とそういう行為をしていないのに妊娠、紛れもなく奇跡です、本当の話なら。
レオナルドダヴィンチが描いた「受胎告知(じゅたいこくち)」はそのシーンを描いたと言われています↓
大天使ガブリエル「マリアよ、お前のお腹に神の子を宿した。その子を産みなさい」
マリア「え、わたしはまだ処女なのですが…?なぜ急に子どもを!!?」
ガブリエル「神の子だからです。」
イエスもユダヤ教徒としてユダヤ教のコミュニティの中で生活していましたが、30歳くらいからある疑問を抱き始めます。
ユダヤ教では"神はユダヤ教徒のみを救う"と教えてるけど、別にユダヤ教徒じゃなくても神の存在を信じる者は全員救われるべきでは…?
そうです、「この世界にはユダヤ教徒以外も大勢いるのにその者たちは誰も救われないのか?」と考えたのです。
そんなユダヤ教に疑問を感じ「神様を信じればみんな救われるよ!!」と説いて徐々に信者を増やしユダヤ教と異なる形で形成されていったのがキリスト教です。
しかしもちろん「我々ユダヤ人は神に選ばれた民族である」とする選民思想を待つユダヤ教徒から底知れぬ反感を買い、無実でありながら十字架に磔にされ処刑されました↓
まあ死んだ3日後に奇跡が起きて復活するんですけどね、イエス(笑)
あの有名な「最後の晩餐」は、この処刑前日のお話なのです↓
「この中の一人が私を裏切るだろう」とイエスが予告し、12人の愛弟子が慌てている場面
ユダヤ教徒(ユダヤ人)はこういった理由で「イエスを処刑した民族」として以降1900年間に渡ってキリスト教から迫害されたのです。
話すと長くなるのでバッサリ割愛しますが、要するに「神様を信じる者は全員平等に救われる」と説いて、当時貧しかった人たちの心に刺さって、その後世界中に爆発的に普及したのがキリスト教です。
補足ですがキリスト教とは「イエス・キリストの考え(教え)を弟子が徐々に世界各地に広めていっていつしかそう呼ばれるようになったもの」なので、イエス自身が「キリスト教を信じなさい」と言ったわけではありません(←重要
より詳しいキリスト教の歴史はこちらで解説しています↓
さて、遂にこの単元にやってきたかという感じです。世界を周るうえで必ず知っておくべき知識の一つ、それは宗教の基礎知識で宗教上のルール違反等を勉強せずに世界を旅することは危ないし勿体ないです。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教[…]
ではカトリック/東方正教会/プロテスタントの概要を書いていきたいと思います。
カトリックの概要
カトリック教会は「ローマ・カトリック教会」とも「ローマ教会」とも呼ばれ、
です。
カトリックの最大の特徴は、
ローマ教皇を全教会の頂点とした完全なピラミッド型の組織である
という点です↓
カトリックは上下関係が命!
ピラミッドの頂点にあたる教皇(きょうこう)は、イエスから天国の鍵を授けられた使徒ペテロの後継者で(←え?(゜.゜))、地上におけるイエスの代理者とされています。
当然、教えの根幹にかかわることに最終的な決定権を持つのもこの教皇です↓
カトリックは儀式や伝統を聖書と同じように重んじるのも特徴です。
実際に中世ヨーロッパでは、
とか、
とか、とりあえず都合のいいように勝手に伝統とか儀式を作れてしまうのです。
実際に筆者の奥様(←イタリア人)の親族にも敬虔なクリスチャンがいますが、毎日曜日は朝早くからわざわざ車で教会まで行って讃美歌を歌って昼過ぎに帰って来るという、筆者には真似できない生活を送っています(笑)

プロテスタントの概要
16世紀後半にルターやカルバンの宗教改革に端を発したプロテスタントは、
16世紀後半にカトリックの聖職者が資金集めのために贖宥状(しょくゆうじょう=又は免罪符)を販売するという、神も仏もあったもんじゃないトンデモなく悪質な金儲けをし出したのが全ての始まりでした↓
これに反発したルターやカルバンらによって、新たにプロテスタントという宗派が形成されていったんですね。
プロテスタントでは、神のもとではみな平等という立場から『神と個人は直接関係を持てる』とされています。
カトリックは儀式や伝統を聖書と同じように重んじているのに対し、プロテスタントは聖書の教えだけを信仰のよりどころにします。
カトリックでは信徒は聖職者(神父など)を通して神と交流しますが(=逆に言えば聖職者に富と権力が集中しやすい)、プロテスタントでは個人が直接神と交流できるのです。
なので信者の目を引く豪華な教会も必要なく、内観はかなりシンプルで「わお大聖堂!!!」って感じの金ぴかはありません↓
とにかく質素です。
中田敦彦氏の動画でも言ってましたが、「豪華な装飾が施されている教会」は大抵カトリックです。
まだ観ていない方のために一応貼っておきます。
プロテスタントからすれば「内装にお金かけて信者を集めるなんて神の教えにはない!!!!」といった感じでしょうか。

どうせその内装工事のお金も信者たちから集めた寄付とか税金でしょうし…
そらあ天国に行けるチケットをマジで高額で売り出したカトリック教会ですから↓
「今のカトリック教会は間違っている!!!」と声を上げたルターは、カトリック教会にとってはまさに目の上のタンコブ、おじゃま虫、目障り、ウザイ存在なのです。
しかも信徒たちも「確かに、よく考えるとおかしくない?」とカトリックに対する不平不満が噴出し、新宗派であるプロテスタントに改宗する人も多かったのでしょう。
バロック建築に関する記事でも書きましたが、このように信者がプロテスタントに流れるのを阻止するためにバロック建築では教会を超豪華にしたのです。
「ゆがんだ真珠」と揶揄されるほど豪華な教会がバロック建築だ!
まあ教会の豪華さで改宗を踏みとどまる信徒もどうかと思いますが(`・∀・´)
確かに明らかにプロテスタントの教会とは別格です、豪華さは(笑)
一応バロック建築編の記事も貼っておきます↓
ヨーロッパを旅する前に知っておくべき西洋建築の知識として、今回はバロック建築について説明します。[show_more more=恒例の挨拶(クリックで開きます) less=折りたたむ color=#0066cc list=»[…]
東方正教会の概要
東方正教会(とうほうせいきょうかい)は、
です。
西暦1054年にローマ・カトリック教会から正式に分離しました。

上記のように、各国あるいは民族ごとに正教会が形成され、「主教」のもと、それぞれ独自に活動を行っています。
カトリックと違い、全体的な首長を戴いたり、ピラミッド型組織を持つことを認めていません。
東方正教会はキリスト教派の中でも最も伝統を忠実に重んじる教会だと言われています。
東方正教会の特徴は、
ところです。
正直、

って感じなので、もう少し詳しく説明しましょう↓
①政教一致:宗教と政治が一体化している統治システム
②聖俗一致:聖職者と俗人を区別しない考え
③霊肉一致:霊魂も肉体も共に大切だとする思想
こう聞いてもまだ

ってなると怖いのでもう少しだけさらに詳しく説明します。
政教一致
政治と宗教が切り離されていないので、「神はこうおっしゃってます」的な基準で政治も進めていきます。
例えばイスラム教国家では、クルアーン(=コーラン)があってその下に「イスラム法」という法律があるので、これは完全に政教一致してますね。
聖俗一致
聖俗一致、つまり聖俗(=聖職者と俗人)が一致している(=つまり従属関係がない)ので、カトリックのように「おれは大司教だ、ひれ伏せえぇぇ‼」のように聖職者と一般ピーポーを区別しません。
まさにカトリックとは正反対の方針ですね。
霊肉一致
これが日本人にはわかりにくいんですが、本来キリスト教では肉体は罪悪の根源であり、天国は精神の中にだけあると考えているようです。
なぜなら我々人類は、神との約束を破って善悪を知る木の実を食べて楽園から追放されたアダムとイヴ(エヴァとも)の子孫だからです。
そして、キリスト教の世界では人類滅亡の日(最後の審判)が来ると、イエスが神として再び現れ、全ての人間(の魂)を「天国行きと地獄行き」とに分ける裁きがあるとされています。
こういったことから、
- 肉体=罪深い
- 魂=救済がある
と考えられてきたのです。
しかし東方正教会ではそんな肉体も魂もどっちも大切にしようって事なんですね、たぶん(笑)
「健全なる身体には健全なる精神が宿る」
これも霊肉一致の考え方ですね。
ということで、次ページではキリスト教の儀式や行事をご紹介します٩( ”ω” )و
キリスト教の儀式や行事
キリスト教には「サクラメント」と呼ばれる『神の恩寵のしるしを与える儀式』があり、キリスト教では最も重視されます。
儀式は以下の7つからなり、主に教会で行われます。
※以下はカトリックの例です。
- 洗礼(せんれい)
- 堅信(けんしん)
- 聖餐(せいさん)
- 告解(こっかい)
- 終油(しゅうゆ)
- 叙階(じょかい)
- 結婚(けっこん)
それぞれの儀式の内容を1~2文で説明しているので興味がある方はどうぞ。
» 続きを読む(クリックで開く)
洗礼(せんれい)
キリスト教徒になるための儀式
全身を水に浸すか、頭部に水を注がれる。
ユダヤ教徒によって紀元前3世紀から紀元1世紀までにまとめられた写本(=コピー)を死海文書と呼び(※現時点で約900巻見つかっている)、1946年に発見されたその文書には当時のユダヤ人共同体で行われていた沐浴の儀式について書かれているものもある。
これが初期キリスト教に現れた洗礼の起源として捉えられている。
(参考記事:死海文書には何が書かれているのか、キリスト教との関連は)
堅信(けんしん)
信仰を告白する儀式
洗礼を受けた者がさらに信仰を強め、霊の恵みを得るために行う。
聖餐(せいさん)
イエスの体と血の象徴として、パンとぶどう酒を受ける儀式
イエスが最後の晩餐でパンとぶどう酒をとって「これは私の身体、私の血である」と言ったことから。
告解(こっかい)
罪の赦しを請う儀式
司祭に自らの罪を明かす行為で、最低年一回の告解と秘密の厳守が義務付けられている。
終油(しゅうゆ)
臨終の儀式
臨終時の病人に平安と恵みを受けさせるため、その体に香油を塗る。
叙階(じょかい)
聖職者の任職のための儀式
助祭/司祭/司教などの聖職位を授けることで、かなり重要な儀式。
結婚(けっこん)
婚姻を結ぶ儀式
人と人、人と神の間で交わされる契約。
カトリックは原則として離婚を認めていないのでカトリック大国フランスでは結婚せずに同棲生活を送るカップルが非常に多い。

不倫/浮気ももちろんダメ。
お互いに無宗派なので離婚はできます(笑)
» 折りたたむ
以上の7つの儀式のうち、プロテスタントでは洗礼と聖餐の2つだけしかサクラメントとして認めていません!!
東方正教会では(多少は違えど)カトリック教会と同じようにこれら7つのサクラメントを認めています。
さて、最後にキリスト教の大まかな歴史の説明をこれからしていきますが結構長いのでここまでの内容でも十分かな~と思います。
※ここまでの内容を理解しておられる方にはそんなに難しくない内容となっています。
頑張りましょう٩( ”ω” )و
ここまでの方、お読み下さりありがとうございました!
④キリスト教の大まかな歴史
ではキリスト教の大まかな歴史をみていきましょう。
初めに簡単な流れを図式で紹介します↓
キリスト教が紀元後30年ごろに誕生してから、およそ1,000年後の1,054年にまず、(禁止されているのに)偶像(神様の像/祈る対象)を作って信者を増やしていた「ローマ=カトリック教会」に愛想をつかして「東方正教会」が分かれます。
その500年後の1,529年、免罪符を販売し始めた「ローマ=カトリック教会」に反発したルターらが宗教改革を行い新宗派「プロテスタント」が生まれ現在に至ります。

キリスト教分裂の歴史を理解するうえでの大前提が2つあります↓
➀宗派が分かれるという事は必ず「意見の対立」がある
➁ キリスト教会はあくまで宗教なので武力はもたない(誰かに守ってもらう必要がある)
以上の2点を頭に入れておいてください。
ではキリスト教分裂のお話をします(´っ・ω・)っ
処女マリアが懐妊
紀元前4~7年頃、パレスチナに住む女性マリアが、大天使ガブリエルから「あなたのお腹に子供を宿しました、その子は神の子です」と言われ、処女なのに懐妊しその後こども(=イエス)を産みました。
イエスの処刑と復活
時は経ち、ユダヤ教徒としてすっかり大人になったイエスでしたが、

と考え始めます。
しかしこれはユダヤ教の戒律「ヤハウェが唯一の神である」に背いているので、当然周りのユダヤ教徒からは忌み嫌われます。
周囲からの排斥に負けずに、徐々に「神を信じれば全員平等に救われる」との考えを広めていきますが、愛弟子の一人(イスカリオテのユダ)に裏切られ無実の罪で処刑されます↓
磔刑にかけられ処刑されたイエスですが、なんと処刑から3日後に復活し弟子たちと少し時間を過ごしてから昇天したという話が広がります。
イエスが昇天した後、この頃から弟子たちが「やはりあの方こそ救世主なんだ」と布教を始め(←まあ復活してますからね(笑))、徐々に「キリスト教」と呼ばれ始めます。
なのでイエスが「キリスト教を信じなさい」と言ったわけではありません。
ユダヤ教の聖典には「世界の終わりが近付くと、救世主(キリスト)がこの世に現れる」と書いてあり、イエスの復活を知った人々は徐々にイエスこそキリストであると信じ始めました。
そしてこの頃から五本山と呼ばれる「キリスト教の神5教会」が定められ、最も地位が高い教会がローマ教会、次にコンスタンティノープル教会、他にあと3つあります。
ローマ帝国の国教化と東西分裂
西暦392年、初めは激しく迫害されていたキリスト教徒でしたが、紆余曲折あって史上最強帝国であるローマ帝国の国教になります。
これを契機にキリスト教が爆発的に世界に広がり始めます。
しかし395年、(ゲルマン人大移動によって)ローマ帝国が東西に分裂します↓
ローマ帝国が東西に分かれたのと同様に、先ほど紹介した最も地位の高いキリスト教会の「ローマ教会」と「コンスタンティノープル教会」もそれぞれ東西に分かれました。
ローマ教会:西ローマ帝国側で最も位が高い教会
コンスタンティノープル教会:東ローマ帝国側で最も位が高い教会
東西に分裂したことで、「西ローマ帝国が守るローマ教会」と「東ローマ帝国が守るコンスタンティノープル教会」の派閥ができます。
しかしどちらのキリスト教会にしても、とりあえず国教として巨大帝国に守られているので一安心♡って感じでした(*´ω`*)
西ローマ帝国滅亡とローマ教会
しかし西暦476年に西ローマ帝国がゲルマン人大移動の混乱から滅亡します。
西ローマ帝国の軍事力に守られていたローマ教会は後ろ盾が無くなったことで存続の危機に陥り、一時はどうなることかとヒヤヒヤしましたがなんとか西側のローマ教会も東ローマ帝国の保護下に置かれました。
ローマ教会「ふう(゚Д゚;)敵の派閥やけどとりあえず滅亡は免れたぜ。」
コンスタンティノープル教会「おれらの派閥に守ってもらってるくせに、あいつら生意気じゃね?」
キリスト教会同士の対立とフランク王国
しかし、徐々に[ローマ教会 VS コンスタンティノープル教会]に発展していきます。
そりゃあ、同じ檻で2匹の虎を飼っているようなものですからね、考えの違いから当然争います。
考え方などが微妙に違ってきて、お互いに相手の存在を認められなくなってくる。
基本的にはローマ教会の方が権威は上。
こういった動きの中で、ローマ教会が新たな守護者として当時の大国フランク王国にすり寄り始めます。
フランク王国とはこの頃西ヨーロッパで発展していた王国で、後にヨーロッパを統一するほど力をもった存在です。
(正確には東フランク王国のカール大帝が統一する)
独り勝ちしたフランク王国の概要はこちら↓
RYOです今回はフランク王国建国と分裂までを説明します。フランク王国と言えば、ずばり西ヨーロッパの原点です!※フランク王国の勉強をしてからヨーロッパに行けば無学で行くより10倍楽しめます。5回にわたってヨーロ[…]
フランク王国:キリスト教の守護者という権威が欲しかった
ローマ教会:自分たちを守ってくれる軍事力が欲しかった
フランク王国とローマ教会はお互いにウィンウィンの関係でした。

キリスト教会のピラミッドとイスラム教
この頃からローマ教会がヨーロッパ各地に修道院を作って、聖職者を育てつつ教皇を頂点とするピラミッド支配を始めます。
各地に建てた修道院で洗脳教育を行い、教皇が徐々に力を持ち始める。
そんなこんなの610年、遂にサウジアラビアのメッカでムハンマドがイスラム教を創始します。
イスラム教は一気に勢力を拡げてアラビア半島を制圧し、キリスト教国の東ローマ帝国と争い始めます↓
↑勢力範囲が接しているので争いが起きるのは必然ですね。

イスラム教の始祖ムハンマドは、恐ろしいほど好戦的な人間です。
ぼくはドン引きしました。
イスラム教の成り立ちはこちらの記事で紹介しています↓
さて、遂にこの単元にやってきたかという感じです。世界を周るうえで必ず知っておくべき知識の一つ、それは宗教の基礎知識で宗教上のルール違反等を勉強せずに世界を旅することは危ないし勿体ないです。今まで色んな本とか論文とか読[…]
聖像禁止令と東フランク王国
726年、東ローマ帝国が聖像禁止令を発布します。
当時のローマ教会は言葉の通じないゲルマン人にキリスト教を教えるために聖像を用いていたからです。
キリスト教は偶像崇拝禁止なので、神を絵に描くとか像にするとかは禁止されています。
東ローマ帝国としては、地理的にも「偶像崇拝禁止」を強烈に掲げるイスラム教徒と争いを繰り返しており、争いの種を一つでも減らしたかったという理由もあったようです。
しかしこの聖像禁止令にローマ教会が猛反発し、東ローマ帝国と絶交します。
ローマ教会、もはや宗教上の戒律は無視しています(笑)
そして962年、ローマ教会が当時最も勢いのあった東フランク王国(後の神聖ローマ帝国)を正式にローマ教会の後ろ盾とします。

聖職者の地位を金銭で売買したり、神聖ローマ皇帝が教会の聖職者を任命したりし始めます。
これが行き過ぎた結果、カノッサの屈辱が起きます。
キリスト教分裂とカノッサの屈辱
そして西暦1054年、コンスタンティノープル教会が腐敗したローマ教会に愛想をつかし、キリスト教が「西方教会」と「東方正教会」に分かれます。
ここから、より伝統的な教えを守る「東方正教会」が始まる。
ここで一度、先ほどの年表を確認しましょう↓
つまり「ローマ=カトリック教会」と「東方正教会(元コンスタンティノープル教会)」に分かれます。
西暦1077年には、カノッサの屈辱によりローマ教皇の権威が最大になります。
今回ご紹介するテーマは「カノッサの屈辱」です。なんかカッコイイ名前ですが、これは筆者結局さ~、キリスト教徒のトップ『教皇』と、神聖ローマ帝国のトップ『皇帝』、どっちの方が偉いの?という疑問に答えを[…]

免罪符販売と宗教改革
ここからはローマ教会をローマ=カトリック教会と呼んで話を進めます。
西暦1515年、ローマ=カトリック教会は財源増収のために免罪符(贖宥状(=しょくゆうじょう)とも)を販売し始めます↓
全ては財源確保のためです!
西暦1517年、ルターが免罪符を販売するローマ=カトリック教会を批判し、宗教改革が始まります。
さらにローマ=カトリック教会が分裂
西暦1529年、宗教改革を経てローマ=カトリック教会が更に「プロテスタント」と「カトリック」に分かれます。
プロテスタントは「反抗する者」という意味
プロテスタントは聖書をもとに純粋に信仰を掲げる宗派
カトリックのようなピラミッド構造を嫌う
当時のイギリス国王が離婚したくてもできなかったので、ちょうど盛り上がっていたプロテスタント(離婚もOK)を支援してイギリス国教会を立ち上げました。
さて、もう一度年表をみてみましょう↓
プロテスタントも、東方正教会のように不祥事を起こさず純粋に神と個人が契約を交わすことができます。
こうして現在に至ります。
おわりに
いかがでしょうか?

宗教は調べてみると本当に面白いですし、訪れた国のキリスト教会を見て「あーやっぱりカトリックっぽいな」とか「あーこれはプロテスタントやな」とかをご自身でもチェックしてみてください
キリスト教についてまとめてある以下の記事を読まれたらよりしっくりくると思いますので是非↓
さて、遂にこの単元にやってきたかという感じです。世界を周るうえで必ず知っておくべき知識の一つ、それは宗教の基礎知識で宗教上のルール違反等を勉強せずに世界を旅することは危ないし勿体ないです。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教[…]