【子供でもわかる】中華人民共和国成立から現在までの歴史

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胡耀邦の追悼集会が天安門広場で行われるが…(1989年)

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1989年、胡耀邦が死去しました。

これを受けて、中国の首都「北京」で胡耀邦の追悼集会が行われました。

しかしその集会は徐々に政府を批判する大規模なデモに発展し、全国的に「独裁主義打倒」の動きが爆発しました。

中国 歴史 毛沢東

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筆者
これが、あの恐ろしい天安門事件の始まりだったんですね

民主化運動を行っていた学生たちなどにとっては、「民主化容認派の胡耀邦」「自分たちの良き理解者」が退任させられ、そのうえ死去したんですからね。

鄧小平はこの学生運動を、

鄧小平
共産党を根本から否定する運動である

と大々的に批判したのに対し、趙紫陽は、

趙紫陽
この学生運動は動乱ではなく、愛国的な民主化運動である

と発言しました。

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筆者
趙紫陽スゴイですね、鄧小平と正反対の発言をしたんですから

天安門事件(1989年)

結局、天安門広場には百万人が集結しましたが、政府軍と人民軍の両者が妥協を拒否し膠着状態になりました↓

そして遂に痺れを切らした鄧小平は、人民解放軍(という名ばかりの殺戮集団)を出動させ、「国家に対する反逆行為だ」として天安門広場の学生市民団体を大量の兵隊と戦車で蹴散らしました。

天安門事件の際に、戦車の前に立ちはだかる無防備な市民の映像はかなり衝撃的です↓

これを天安門事件と呼び、中国国内ではサイバーポリスによって検索してもヒットしないワードNo.1になっています。

※死者数百人、数千人、一万人、または死者はいなかったなど諸説あります。

しかし、中国史上でも「民主化運動を武力で鎮圧した」というかなり大きな出来事だったのはまちがいありません。

「民主化運動は徹底的に叩き潰す」という中国共産党の強い意思がうかがえる事件でした。

鄧小平は世界中から武力弾圧を非難され、その責任を趙紫陽になすりつけました。

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筆者

現在の中国では「天安門事件」に関連したキーワードを検索することはできませんし、中国国防相は「天安門事件の鎮圧は正しかった」と主張しています

趙紫陽「来るのが遅かった」

謝罪

この民主化運動鎮圧(天安門事件)の2日前、実はお忍びで当時の指導者「趙紫陽」が天安門広場に居座る学生たちを訪れ、第一に、

趙紫陽
すまない、来るのが遅かった

と涙を見せ、第二に、

趙紫陽

あなた方はまだ若いし、我々は年を取り過ぎている。

状況は大変複雑だ、もう集会をやめて欲しい

と言い残してそれ以降、公の場から姿を消したと言われています。

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筆者
鄧小平に国家反逆罪とかで退任させられたんですかね

なぜこの時期だったのか?

なぜこの時期に天安門広場に100万人もの人民が集まったのか。

中国 歴史 毛沢東

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筆者
胡耀邦の死によって天安門広場に集まったのはそうなんですが、もう一つ大きな理由があったのです‼

それまで仲の悪かった中国とソ連がちょうどこの時期に仲直りし始め、ソ連の指導者ゴルバチョフが北京に訪れるという一大イベントがあり、世界中の報道機関が中ソに注目していました。

なので

この時期に民主化運動を起こせば、その様子は世界中に放送され中国側も民主化を認めざるを得ない

と考えたんですね。

その期待に反して中国(鄧小平)は軍を動員して鎮圧したんですけどね・・・。

劉暁波がノーベル平和賞に

天安門事件が起きた時、学生を指導した一人に劉暁波(りゅうぎょうは)という人物がいました↓


(出典:産経ニュース

彼はアメリカに留学していましたが、天安門事件が起きたことを知って急遽中国に帰国して運動に参加、仲間と共に学生たちを指導しました。

天安門事件後に「反革命宣伝扇動罪」で投獄され、1991年に釈放されました。

しかし中国内で人権保護と民主化を訴える運動をたびたび起こし、たびたび中国政府に「反逆者」として逮捕されてきました。

中国政府に繰り返し投獄されながらも、亡命もせずに中国の一党独裁体制を強烈に批判し、民主化運動と言論の自由を訴え続けました↓


(出典:ニューズウィーク

結局、2010年に基本的人権の確立のため長年にわたって中国の民主化運動を続けてきた功績でノーベル平和賞を受賞しました。

しかし、ノーベル平和賞受賞が決まった時には獄中におり、授賞式には出席できずそれから2017年7月に死去するまでずっと刑務所に閉じ込められていました。

江沢民が総書記に(1989年)

天安門事件が終わり、民主化運動に理解を示した趙紫陽はクビ。

代わって、武力弾圧に理解を示していた江沢民(こうたくみん)が総書記になり↓


(出典:AFPBB News

鄧小平が頑なに守り続けた、

  1. 共産党の一党独裁体制
  2. 経済発展重視

を維持し続けました。

鄧小平は重要な役職を全て退き、ついに裏の世界からも事実上身を引きましたが、依然として鄧小平はカリスマ的な存在だったのは間違いありませんでした。

また1997年(鄧小平が死去した年)、江沢民は1842年以来イギリスの植民地だった香港を中国に返還させたのも大きな功績とされています。

しかしご存知の通り、香港返還は香港に住む人々にとっては悪夢の始まりだったのです。

香港からは自由が奪われ、民主化運動は徹底的に弾圧されたのです。

おわりに

中国人 韓国人 名前

江沢民から胡錦涛、習近平と鄧小平が思い描いていた「経済発展 & 共産党一党独裁」を維持し続けた結果、現在の中国は世界有数の軍事大国であり経済大国になりました。

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筆者
しかし中国の経済発展と一党独裁体制はいつまで続くのか甚だ疑問です

フランスの経済学者で政治顧問、知の巨人と呼ばれるジャック・アタリ氏は「中国は食糧不足と水不足が原因で崩壊するのは自明の理である」と述べています。

中国内では言論の自由が弾圧され、何か大きな事故が起こっても政府の発表は信用できないし、ネットで共産党政権の悪口を言えば「国家反逆罪」になるし、少しでも民主化運動が起きれば武力鎮圧される可能性もあるし。

特に「ウイグル問題」と「チベット問題」については本当に現代では信じられないような人権侵害が行われています。

いつか詳しく記事にしようと思っています。

そもそも中国に(我々が考えているような)プライバシーなんてものは存在しませんし、中国内では「検索できないワード」もたくさんあり、本当の歴史的事実を知ろうと思ってもとても難しいのです。

しかし胡耀邦や趙紫陽、劉暁波などが民主化を許容・促進したという事実も事実なので、今後どうなるかは誰にもわかりません。

中国の歴史と一緒にソ連の歴史を勉強するとなおおもしろいですよ~

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参考までに(`・ω・´)ゞ

では!

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