最近では香港と中国も問題になっていますが、今回は「中華人民共和国成立から現在までの歴史」のお話です。
本記事では、毛沢東率いる中国共産党軍が蒋介石率いる中国国民党軍を破り、中華人民共和国成立を宣言したところから始めます。
以下の記事を読まれていない方は、先にそちらをご覧ください↓
最近では、完全に自由を奪われた香港の話が盛り上がっていますが、今回は少し時代を遡って「中国と台湾の対立」のお話です。筆者そう言えば昔、まだ台湾と中国の関係を勉強する前ですね。台湾人の友達を中国人と[…]
皆さんご存知のYoutuber中田敦彦氏の動画でも詳しくわかりやすく面白く説明されているので、理解度アップのために一度目を通すと良いと思います↓
香港デモの話ですが、ガッツリ台湾の歴史も話しています。
中国 (中華人民共和国)
では台湾と中国の流れがわかったところで、1950~現在までの流れを簡単に説明していきます。
筆者は毛○東がやらかしたことだけでなく、そもそも彼の見た目が生理的に無理なんです(笑)
このお方を見るとなんかぞわぞわするんです、悪い意味で。
建国後すぐ、朝鮮戦争が起こる(1950)
国共内戦で勝利した毛沢東は、民衆の支持も得て建国の英雄として絶大な権力を誇ります。
毛沢東「うえぇーい、北京さいこーーーーー」
ついに蒋介石に勝ったぜ。
これからは俺がこの国を仕切って発展させてやる!!!!!
先述した通り、毛沢東は当初「民主主義国家を建設するぞーー」と意気込んでいましたが朝鮮戦争を機に、
と思い、急激に方向転換し中国を共産党の一党独裁国家にしました。
また、朝鮮戦争直前に台湾の対岸に軍隊を終結させて台湾を攻め落とそうとしていました↓
ちょうどその時に朝鮮戦争が起きて、北朝鮮を援護するために中国は軍隊をある程度引き上げたので台湾は生き延びたと言われています。
蒋介石のやろー台湾なんかに逃げやがって
てめえの息の根を止め…
なにぃぃぃ!!!!!朝鮮半島で戦争だと!!?
仕方ない、台湾はとりあえずほっとけ
ここから毛沢東の超おバカ政策が頻発し、中国は暗黒の時代に入ります。
大躍進政策(1958年)
圧倒的な権力を握った毛沢東は1958年、「中国の工業と農業の大躍進」を掲げて大躍進政策を始めました。
早い話、毛沢東は「我が中国は15年で鉄鋼生産において(当時の大国)イギリスを追い越す」と宣言し、中国全土に自作の熔鉱炉を作らせ全国民に鉄を作らせました。
が、これが大失敗して中国全土に大飢饉を招き4,000万人以上の餓死者を出しました(以下参考↓)
今回は中華人民共和国(現在の中国)の初代国家主席の「毛沢東」が行った大躍進政策(だいやくしんせいさく)を簡単にまとめようと思います。わかりやすくまとめてあるので是非最後までご覧ください(´っ・ω・)っ毛沢東の台頭[…]
劉少奇や鄧小平が台頭する(1959年-1966年)
鄧小平
毛沢東の大躍進政策によって数千万人の餓死者が出たことで、中国共産党幹部会で批判を受けた毛沢東は国家主席の地位を劉少奇(りゅうしょうき)らに譲りました。
毛沢東はぎりぎり共産党主席の地位に留まりましたが、いつその権力を失うか知れない状況でした。
この間に鄧小平(とうしょうへい)らの実務派が台頭し、大躍進政策によって荒廃した農村と工業を復興させるための改革運動が始まりました。
鄧小平は非常に柔軟な考えの持ち主で、国民が幸せになるためなら共産主義にこだわらなくても良いという考えを持っていました。
その鄧小平の有名な一言がこちらです↓
まあ、共産主義でも資本主義でも国民が幸せになるならどっちでもいい、ってことですね!
文化大革命(1966年-1976年)
1959年、大躍進政策の責任を取って一度国家主席の座から退いた毛沢東ですが、1966年に文化大革命を起こして再び国家主席の座に舞い戻りました。
名前の響きは素敵ですが、やったことは国民を大混乱に陥れたことと罪のない一般人を大量虐殺したことです。
しかも劉少奇や鄧小平ら、中国改革派を徹底的に弾圧したのです。
結局、文化大革命は毛沢東が死ぬ1976年まで10年続き、中国を再び無茶苦茶にしたのでした。