
2026年2月28日(土)に始まったイスラエル・アメリカ両軍のイランへの攻撃。
この戦争がなぜ起きたのか、詳しく知りたいと思う方は多いと思う。
そこで、専門家でもなんでもない私だが個人的に中東の歴史や宗教について勉強してきたので、わかりやすくまとめていこうと思う。
まず初めに、下に示した中東の地図を見て欲しい。

赤く塗られた小さな国がイスラエル、黄色に塗られた大きな国がイランである。
地図で見たら明らかなように、イランはイスラエルよりはるかに大きな国土面積を有しており、その差およそ74倍である。
だが、いざ戦争となると両者はほぼ互角、いやイスラエルに分があると言ってよい。
本記事では、このような小国イスラエルがなぜ大国イランと対立しているのか、その原因はなんなのかを考察していく。
さて、2026年のイラン戦争を理解するためにはいくつかの対立軸を抑えておくべきだと思っている。
それが以下の4つ。
- 宗教対立(ユダヤ教 vs イスラム教)
- 宗派対立(スンナ派 vs シーア派)
- 国家対立(イスラエル陣営 vs イラン陣営)
- 軍事バランス(核保有国 vs イラン)
本記事は、基本的に上記4つの対立軸を意識して書いている。

これらを順に読み解くことで、断片的な出来事が一本の線としてつながり、現代中東の構図が立体的に見えてくるはずである。
一応無駄なチャプターは無いつもりだが(余談や脱線が多いのは自覚している)、全て読むとかなり長くなるので、目次から気になるチャプターに飛んで頂くことを推奨する。
(もちろん最初から全て読んで頂きたいが)
では始めよう。
- 1 古代文明(紀元前3000年頃〜)
- 2 ユダヤ教の誕生(紀元前1100年頃)
- 3 古代帝国の時代(紀元前500年頃)
- 4 キリスト教誕生(1世紀)
- 5 イスラム誕生(7世紀)
- 6 オスマン帝国の支配(1299〜1922)
- 7 イスラエル建国(1948)
- 8 中東戦争
- 9 イラン革命(1979)
- 10 イラン・イラク戦争(1980-1988)
- 11 湾岸戦争(1990-1991)
- 12 アメリカ同時多発テロ(2001)
- 13 イラク戦争(2003)
- 14 アラブの春(2011)
- 15 イラン核合意(2015年)
- 16 イラン vs イスラエルの対立激化
- 17 イラン戦争 時系列でまとめてみた
- 18 アメリカとイスラエルの微妙な関係
- 19 おわりに
古代文明(紀元前3000年頃〜)

中東は、かつて人類最古の文明が栄えた地である。
チグリス・ユーフラテスの流域ではメソポタミア文明が、ナイル川流域ではエジプト文明が繁栄した。
しかし現代、この同じ地域は宗教と政治の対立によって再び緊張の中心となっている。
古代オリエント地域

メソポタミア地域は争いが多い、エジプト地域は争いが少ない
メソポタミア地域とエジプト地域には、それぞれ異なる特徴があるので軽く触れておこう。
メソポタミア:開けた平野 → 攻められやすい → 国家が頻繁に交代
エジプト:砂漠と海に囲まれる → 守りやすい → 長期安定
このように、中東地域ではメソポタミア文明とエジプト文明という両雄が並び立ち、この地域を総称して古代オリエントと呼ぶ。
地図にするとこんな感じ。

かなりザックリとした地図だが、だいたいこのような広大な地域を古代オリエント(地域)と呼ぶ。
当たり前だが現在の国境線は全く関係がない。
関係はないが、「現在の地図でどこらへん」という感覚も養って頂きたいのでこのような地図にしている。
ユダヤ教の誕生(紀元前1100年頃)

知らない人もいると思うが、イスラエルという国家はユダヤ人国家である。
世界中で迫害されてきたユダヤ人が「自分たちユダヤ人のための国を建てれば誰にも迫害されないだろう」と考え、パレスチナという地域に集まってイスラエルという国家を建国したのだ。
なのでユダヤ教成立のエピソードなどを知っておくのも、現代の戦争を理解するのに非常に重要だと思っている。
それを頭の片隅に置いたうえで読み進めて欲しい。
ユダヤ教聖書の神話(?)は一旦置いておいて、まずは歴史的事実からお話をしよう。
紀元前1100年ごろ、シリア・パレスチナで部族生活を送っていたヘブライ人が統一され、パレスチナの地に王国が建国された。
(ヘブライ人は、ユダヤ人の旧称だと思ってくれればいい)

ダビデ・ソロモン時代のヘブライ王国
これをヘブライ王国と呼ぶ。
初代の王はサウルで、多くの部族に分かれていたヘブライ人を初めて統一したが、ペリシテ人との戦いで戦死した。
その後、あの短小包茎で有名な「ダヴィデ像」のダヴィデが二代目国王となり、ペリシテ人やカナーン人を征服し、パレスチナ全域を支配する統一帝国を建設した。

短小包茎で有名なダビデ、実は国王だった件
ダビデは羊飼いから国王にまで成り上がったスゴイ人。

ヘブライ王国は「イスラエル王国」とも呼ばれる(←ややこしい)
サウル王はダヴィデの有能さに嫉妬し暗殺を命じたのでダビデは逃亡、サウル王の死後ダビデは故郷に戻りサウルの娘と結婚した、のだが…。
そこらへんの詳しいお話はこちらで。
そして三代目国王ソロモンの時代に、都イェルサレムにヤハウェ神殿(=ソロモン神殿とも)が建設され、「ソロモンの栄華」と称された。

ソロモン神殿のイメージ
ちなみにソロモン神殿は後に「新バビロニア」に破壊され、その後再建したが再び「ローマ帝国」に破壊されている。

嘆きの壁の前で祈りを支えるユダヤ教徒
ユダヤ教の聖典タナハ
ユダヤ教は世界最初の一神教と呼ばれ、聖典タナハ(≒キリスト教目線での旧約聖書)にはアダムとエヴァが禁断の果実を食べ、神に楽園を追い出されるというあの超有名なエピソードが記されている。

楽園を追放されたアダムとエヴァ
ちなみに『禁断の果実』がなんの木の実なのかは聖書には書かれいない。
このシーンでリンゴがよく登場するのは後世の勝手なイメージが定着しただけ。
(英語で喉仏は”Adam’s apple”と呼ばれる。アダムが禁断の果実を飲み込んだ時に木の実が喉に引っかかったことに由来していると言われている。)
繰り返すが禁断の果実がリンゴだとは聖書には一言も書かれていない。
その後も、大洪水を生き抜いたノアの箱舟伝説や、神の怒りを受けて崩壊したバベルの塔、ソドム・ゴモラの町に硫黄と炎の雨が降る話など、読んでみると実はかなりおもしろい。

ノアの箱舟伝説
ちなみに聖書タナハの内容を、頭からお尻までまあまあ詳しく&おもしろく解説しているのでそちらの記事を下に貼っておく。
さて、本記事では、ユダヤ人の“聖なる物語”――そう、旧約聖書という名の一大叙事詩を、なるべく分かりやすく、そしてちょっぴり笑える感じで解説していく所存である。[show_more more=前置き(クリックで開く) less[…]
そしてタナハの最重要人物の一人、アブラハムが登場する。
神から「カナンの地(現パレスチナ)をおまえたちに永遠に与えよう」と言われて感激したり、妻サラが90歳の時に産んだ最愛の息子イサクを生贄にせよと神に命令されて泣く泣く息子の命を絶とうとしたあの「信仰の父」である。

アブラハムと息子イサク
アブラハムの二人の息子のうち、一人がユダヤ人の祖、一人がアラブ人の祖とされている。
アブラハムのもっと詳しいエピソードはこちらで。
そしてもう一人の最重要人物、モーセ。
海(紅海)を真っ二つに割るという文字通りの神ムーブによりエジプト軍の追撃から逃げ、その後エジプト対岸のシナイ山で神から十戒(石板)を受け取った。

海を真っ二つに割るモーセ
エジプトで奴隷としてこき使われていたユダヤ人を救い出してカナンの地に連れて帰ったのがモーセ。
俗に言う「出エジプト記」ってやつ。
モーセの話は詳しい話はこちらで。
その後、ダビデやソロモンのヘブライ王国へと繋がっていく。
さて、「ユダヤ教の誕生はいつ?」と訊かれたら答えるのが非常に難しい。
一般的にはモーセが神から十戒を受け取った瞬間、とか言われることが多いが、そもそも
「海を二つに割って逃げたとか…さすがに神話の世界やろ」
とわたしは思っているので、このブログでは事実ベースでヘブライ王国が成立した紀元前1100年頃と便宜的に記している。
(紀元前6世紀のバビロン捕囚でユダヤ人としての民族意識、ユダヤ教の宗教体系が作り上げられたとする説が主流)
ディアスポラ(132年)
西暦132年、ユダヤ人たちは2度のユダヤ戦争(反乱)を起こしながらもローマ帝国に完全敗北を喫し、弾圧されて地中海各地に離散することになった。
ローマ帝国「てめぇら、二度とこの地に戻ってくるんじゃねぇ!!!」
この故郷(イェルサレム)を失ったユダヤ人の乱離拡散をディアスポラと呼ぶ。

ディアスポラ
その後4世紀に、ユダヤ人は年に一度イェルサレム滅亡の日に旧神殿の壁にすがって祈る事が許された。
これが「嘆きの壁」の由来である。
その後1948年にユダヤ人国家「イスラエル」を建国するまで、ユダヤ人にとっては長きに渡る迫害の歴史が始まるのであった。
To be continued…
古代帝国の時代(紀元前500年頃)
(さて、一旦古代オリエントの話に戻ろう)
開放的な地域であるが故に「攻めやすく守りにくい」という特徴を持ち、数々の王国が勃興しては滅ぼされるを繰り返していた古代オリエント地域だったが、ついに全ての敵を滅ぼして統一する国が現れた。
それが、アケメネス朝ペルシア(ペルシア帝国)である。
さて、ペルシア帝国の勢力図がこちら。

そう、トンデモナイ大帝国である。
ペルシア帝国はペルシア人(イラン系民族)のキュロス二世が建国している。
もうお気付きだろう、現在のイランは古代ペルシア帝国の言語や文化をかなり引き継いでいるのである。
ただし、ペルシア語も文字はアラビア文字を使っているので誤解しやすい。
(でも文法・語彙は全然違う)

アラビア語とペルシア語の意思疎通は不可(らしい)
もう一つ余談だが、アラビア語もペルシア語も文字は右から左に読む。
تاریخِ جهان بسیار عمیق است(←こっちから読む)
そのためイラン人はペルシア帝国を自分たちの祖先の国家と考えており(まあ実際そうなのだが)、数千年にわたる歴史を受け継ぐペルシア人としての誇り(?)を強く持っている。
さらに、ペルシア語という独自の言語を保持していることも、彼らのアイデンティティを支える重要な要素となっている。

そのためイラン人はプライドが非常に高い。
(元駐イラン特命全権大使の斎藤貢氏談)
ペルシア帝国滅亡(前330年)

これだけ広大な領地を手にし、紀元前550年~前330年まで隆盛を極めたペルシア帝国だったが、その巨大帝国を滅ぼしたのが、アレクサンドロス大王でお馴染みの古代マケドニア王国であった。

アレクサンドロス大王
この、古代マケドニア王国がペルシア帝国を滅ぼした戦争が、ゴジラみたいな名前でお馴染み「ガウガメラの戦い」である。
しかし前323年にアレクサンドロス大王が病死し、それからわずか10~15年で古代マケドニア王国はガタガタに崩壊した。
その後再び中東地域は紛糾していくのだが、そんな折、紀元前7年にローマ帝国下のパレスチナで世界を揺るがす一大事件が起こる。
キリスト教誕生(1世紀)
紀元前7年、パレスチナにマリアという名のユダヤ教徒の少女(14歳←諸説あり)が暮らしていた。

ある日突然、彼女のもとに大天使ガブリエルが降臨しこう告げた。
「あなたのお腹に子どもを宿しました。その子を産みなさい」
「え、わたしはまだ処女ですが!!?誰の子ですか!?」
「神の子です。」
「え!!!??(絶句)」

マリアとガブリエル
この時の様子を描いたのが、(人生で一度は聞いたことがあるであろう)あの天才レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」である。

レオナルド作(受胎告知)
こうして、マリアは処女なのに懐妊したという奇跡が起き、その神の子こそがキリスト教の創始者イエスだったのだ。
イエスは幼少期から天才エピソードに欠かない少年だったが、大工の父を手伝いながらユダヤ教徒としてつつましく暮らしていた。

実はイエスは大工の息子だった
まあ、父ヨセフにも色んな苦労があるわけさ…あまり深掘らないであげて欲しい。
だが30歳を過ぎた頃からイエスは、「ユダヤ教徒しか神に救われないって。『神』ってそんな感じ?」とユダヤ教徒の教えを疑い始め、逆に「神を信じる者はユダヤ教徒に限らず皆救われるはずだ」と説いて宗教活動を始めた。

手をかざすだけで病人を治癒できるイエス
手をかざすだけで病人を治癒したり、水をワインに変えるなどの奇跡を各地で起こしながら、イエスは徐々に民衆に支持されていった。
しかし他のユダヤ教徒の憎しみを一身に集めたイエスは、最後の晩餐を終えた後、十二使徒のひとりユダの裏切りに遭って十字架に磔にされ処刑された。
しかしなんとイエス、三日後に復活して昇天するという神ムーブを発動する。

三日後に復活するイエス
その後、十二使徒の布教活動によってキリスト教は徐々に知名度を得るのだが…
ローマ帝国では皇帝崇拝を拒否したがために、キリスト教徒はネロ帝やディオクレティアヌス帝などに激しく迫害された。

迫害されるクリスチャン
しかしキリスト教の「神を信じる者は皆救われる」という画期的な教えの人気はすさまじく、380年にキリスト教はついにローマ帝国の国教として認められ、これを機にキリスト教は爆発的に世界中に広まっていくことになる。
キリスト教のストーリーをもっと詳しく解説しているのがこちら。
イスラム誕生(7世紀)
イエスの誕生から約600年後のことである。
現在のサウジアラビアにある町メッカの大商人の家に生まれ、40歳で瞑想中に神の啓示を受けた一人の男がいた。

彼の名はムハンマド。
610年、ムハンマドは日課となっていた山中での瞑想時間に突如、大天使ガブリエルから啓示を受けた。
「わたしの名はガブリエル。あなたは今後、神の言葉を民へ伝えるのです。」
「え、急に!!?わたしがですか!?いやいや、わたしはしがない商人ですが」
「あなたが神の言葉を伝える最後の預言者なのです。」
「マジすか。やりますわ!」
こうして、ムハンマドは自ら最後の預言者と自称し、布教を開始した。

布教を開始するムハンマド
ムハンマドは、後に民衆の間で「イエスはキリスト(=救世主)だったのでは」と語られて成立したキリスト教とは違い、「我こそはモーセやイエスと肩を並べる最後にして最大の預言者なのだ!私の言葉はイコール神の言葉なのだ!」と自ら宣言し、自分を預言者と認めない者が多かったユダヤ教徒をメディナから追放したりした。
神の啓示を受けてから9年後、ムハンマドは大天使ガブリエルに導かれて一夜にしてメッカからエルサレムへ飛び(約1500kmの瞬間移動)、アブラハムが息子を生贄にしようとした聖なる岩から昇天したと言われている。

聖なる岩から昇天するムハンマド
その岩を守るように建てられたのがイェルサレムにある「岩のドーム」ってやつ。
しかしイエスと同様に、新興宗教を布教し始めたムハンマドは既得権益層から憎まれ、志半ばで処刑され…とならないのがムハンマドのおもしろいところ。
ムハンマドはどちらかと言うと好戦的な人物で、「やられたらやり返す、100倍返しだ!」の精神で敵を尽く殲滅していく。

ムハンマドは、622年にメッカで迫害され、メディナに逃げて教団(ウンマ)を形成、630年に軍事力を大幅に増強しメッカに奇跡のカムバックを果たしこれを征服(一応無血開城と言われている)
その後、当時は多神教だったアラブ宗教の中心地「カーバ神殿」に祀られていた数百の偶像を全て破壊し、カーバ神殿を一神教の神殿とした。

カーバ神殿に奇跡のカムバックを果たし、土着信仰の偶像を破壊しつくすムハンマド軍
- 「メッカ」はイスラム教第一の聖地
- 「メディナ」はイスラム教第二の聖地
- 「エルサレム」はイスラム教第三の聖地
ちなみにメッカにあるカーバ神殿の様子がこちら↓

現在のカーバ神殿の様子
トンデモナイ人口密度である。
わたしも興味はあるが、カーバ神殿はムスリムしか入れないので、おそらく無宗派のわたしには一生縁がない場所だろう。
世界中のムスリム(イスラム教徒)は、毎日5回このカーバ神殿の方向に礼拝をしている。

(どれくらい厳格かは知らないが、日本のムスリムはだいたい西南西に向かって礼拝をしていることになる)
その後もムハンマドは敵対する諸部族を次々と帰順させアラビア半島の政治的・宗教的統一を果たし、632年に死去した。
そのムハンマドの言行録『クルアーン』(コーランより正確な発音)はイスラーム教の聖典とされており、クルアーンは神の言葉そのものなのでアラビア語から他の言語に翻訳することはできない、とされている。

クルアーンや六信五行に関する詳しいお話はこちらで。
シーア派とスンナ派
中東の紛争をめぐって、絶対に理解しておかなければならないことの一つがこれ。
シーア派とスンナ派の対立である。
ムハンマドの死後、後継者問題をめぐってイスラム教はシーア派とスンナ派の二大派閥に分離する。

シーア派 vs スンナ派
正確に言うと、第4代カリフ(=ムハンマドの後継者でイスラーム教団の最高指導者)のアリーの時代まではイスラム教徒は一つにまとまっていた。
しかし、アリーの死後
- ムハンマドの血統こそを重視すべきというシーア派(つまり世襲制)
- 血統よりも実績や人望を重視すべきというスンナ派
の間で意見が分かれ、イスラム教は二分した。

血統を重視するシーア派と、実績や人望を重視するスンナ派
そもそも「シーア派」「スンナ派」という名称自体も実は興味深い。
シーア派は「アリーを支持する人びと(シーア=アリー)」という言葉からシーア派と呼ばれるようになったのに対し、
スンナ派はイスラーム教におけるスンナ(クルアーンに次ぐ権威のあるムハンマドが示した規範で、代々伝承されてきた慣行)に従う派閥なので、スンナ派は分派ではなくイスラーム教そのものと言ってよい。
シーア派「ムハンマドの血をひくことがムスリムの指導者(イマーム)の絶対条件だろう?なぁ、みんな!?」
スンナ派「ムハンマドの血統よりも、カリフの元でスンナ(ムハンマドの慣行)に忠実に従うことの方が重要だろ?なぁ、みんな!?」
さて、分裂の結果どうなったかと言うと…
「シーア派1:スンナ派9」
ということでスンナ派の方が圧倒的に多い。
(部外者だが、わたしもムハンマドの血統より慣行に従う方が理に適っていると思う)
つまりスンナ派(大多数のイスラム教徒)は、預言者ムハンマドの死後
- 血縁でなくてもよい
- 有力な仲間が合議で決めればよい
という考えだった。
ただしスンナ派も「ムハンマドの家族を尊敬」しており、血統を完全否定しているわけではない。
では、中東の「シーア派 VS スンナ派」を地図にするとこうなる。

(出典:Iraq War Deepens Sunni-Shia Divide)
シーア派のリーダーはイラン、スンナ派のリーダーはサウジアラビアと言える。
「スンナ派=多数派=主流派」に対して、「シーア派=少数派=過激派」というわけではないので注意。
スンナ派を正統派、シーア派を異端派とするのは間違い。
この「シーア派 VS スンナ派」の構図は現代の中東の対立を理解するうえで非常に重要なので、是非とも頭の片隅に置いといて欲しい。
オスマン帝国の支配(1299〜1922)
さて、2026年のイラン戦争を理解するうえで、オスマン帝国の歴史を知るのも重要だとわたしは考えている。
オスマン帝国の歴史は直接の原因ではないが、地域構造を作った重要な背景になっているからだ。
オスマン帝国のざっくり歴史
西暦1300年ごろ、トルコ系の遊牧戦士にオスマン一世という男がいた。

遊牧戦士オスマン一世のイメージ
ローマ帝国は395年に東西に分裂しており、約1000年の歴史を持つ東ローマ帝国(ビザンツ帝国とも呼ぶ)も衰退し始めていた時期で、
「弱ってきているビザンツを食えば急成長できるな…」
と考えたオスマン一世は「打倒ビザンツ帝国」のために着々と領土を拡大し始めた。
いつかビザンツ帝国を食うために。
ここからオスマン朝が始まる。
そして西暦1453年、オスマン帝国最大の事件が起こる。
それが、コンスタンティノープル陥落である。

東ローマ帝国の首都を陥落させた
当時のオスマン皇帝(メフメト二世)が、東ローマ帝国の帝都コンスタンティノープルを占領したのである。
亡きオスマン一世の悲願がついに叶った瞬間である。
こうして東ローマ帝国(≒ビザンツ帝国)は滅亡し、オスマン帝国という巨大なイスラム教国家が隣に誕生したことでヨーロッパ(キリスト教勢力)は大パニックに陥り、東西貿易ルート(ヨーロッパーアジア間)が遮断された。

オスマン帝国の誕生を恐れるキリスト教勢力
これも、大航海時代(新しい貿易ルート探し)が始まる一因となっている。

青線はヴァスコ=ダ=ガマの航路
オスマン帝国の領土拡大により、地上での東西貿易ルートの代わりに海洋ルートを模索しなければならなくなった、というわけだ。
1500年代、スレイマン一世の時代にオスマン帝国は世界最強のスンナ派国家となる。

オスマン帝国の全盛期の領土(ザックリです)
(上の地図の通り)領土は、
- バルカン半島
- 中東
- 北アフリカ
- 黒海
- アラビア
まで拡大。さらに、
- メッカ
- メディナ
- エルサレム
というイスラム教の聖地を支配し、イスラム世界のリーダー(カリフでありスルタン)となる。
「カリフとスルタン」は、「朝廷と征夷大将軍」「ローマ教皇と皇帝」みたいな関係。これでわからない人は無視してもらって大丈夫🙆♂️
こんな広大な領地を支配したオスマン帝国、当然こんな疑問が湧く。

「イスラム教国家の領地に住む、キリスト教徒とかユダヤ教徒は迫害されたんでしょ?」
いやいや、これがまたおもしろいところなんですわ。
1529年には、オスマン帝国がキリスト教ヨーロッパの中心ハプスブルク帝国の本拠地ウィーンを包囲し(第一次)、キリスト教勢力を恐怖のどん底に陥れたりもしたが、1683年に「オスマン軍」と「ヨーロッパ連合軍」が衝突するウィーン包囲(第二次)が起き、ここでオスマン軍が敗北する。

敗北するオスマン帝国軍
これ以降、オスマン帝国はヨーロッパ勢力(キリスト教勢力)に押し返され始める。
1800年代、帝国は
- 腐敗
- 軍事の遅れ
- 独立運動
でどんどん弱体化していく。
さらにオスマン帝国は第一次世界大戦でドイツ側につく。
しかし敗北。
こうして、1922年に600年続いたオスマン帝国は消滅した。
そして、オスマン帝国の軍人ムスタファ・ケマル・アタテュルクが革命を起こし、(オスマン帝国崩壊後の)1923年にルコ共和国が誕生する。
オスマン帝国の影響
ではオスマン帝国が現在のイラン戦争の間接的な原因となっている2点について解説していこう。
①中東の宗派対立を固定化した
前述したように、オスマン帝国の西側にはヨーロッパというキリスト教の勢力があり、「キリスト教 VS イスラム教」という争いが絶えなかった。

キリスト教とイスラム教の対立
しかし、しかしである。
問題はスンナ派の大帝国であるオスマン帝国東側には、シーア派をイランで初めて国教として認めたサファヴィー朝が当時イケイケだったことだ。
このサファヴィー朝の成立を契機として、「イラン=シーア派国家」という構造が誕生した。

実はオスマン帝国東側にはイケイケのシーア派国家が…
つまり、帝国西側ではキリスト教勢力と争い、帝国東側ではシーア派国家とバチバチに争っていたのである。

オスマン帝国は西にも東にも敵がいる状態
しかしその後も、オスマン帝国(スンナ派)と、サファヴィー朝(シーア派)との間では、後継者問題を背景に何度も戦争が起きていた。
こうした経緯もあり、現在の中東でも
イラン → シーア派陣営
サウジ・トルコ → スンナ派陣営
という対立構造が続いている。
サファヴィー朝滅亡後、イラン地域はアフシャール朝やパフレヴィ―朝などいくつかのシーア派国家を経て、1979年に現在のイランが誕生した。
②オスマン帝国崩壊で「不安定な国家」が誕生
1922年オスマン帝国が滅亡し、イギリスとフランスが中東を分割し統治し始めた。

イギリスとフランスが自分勝手に地図に線を引いている
第一次世界大戦(1914~1918)中の1916年に、サイクス(英)とピコ(仏)が秘密裏に「オスマン帝国解体後の中東をどう分けるか」を話し合った(協定を結んだ)ことから「サイクス・ピコ協定」と呼ばれる。
その結果できた国が、
- イラク(英)
- シリア(仏)
- レバノン(仏)
- ヨルダン(英)
などである。
()に英とか仏とか書いてある理由も紹介しておこう。
当時の英仏は「委任統治」と呼ばれる、

「まだ不安定だから、安定するまで代わりに統治しておくわ」
「未熟な地域を独立まで導いてあげよう」
という建前で半植民地的な支配を行っていたのである。
これらの国境は民族・宗教を無視した、英仏の利害のみによって身勝手に引かれたため、一つの国にシーア派とスンナ派とクルド人が混在する結果となった。

イギリスとフランスが自分勝手に地図に線を引いている
本来であれば、対立関係にある民族を一つの国家にまとめれば、将来的に争いの火種となり得ることは、子どもでも理解できるほど明白なことである。
にもかかわらず、大国による領土分割においては、そうした配慮はほとんどみられず、ただ自国の都合に従って、地図の上に線が引かれていったにすぎない。
これらの人工的な国境により、結果的に中東地域は
- 内戦
- 宗派対立
- 外国勢力の介入
が続く地域になった。
クルド人とは
日本でも、埼玉県川口市や蕨市でたびたびお騒がせしていることで有名なクルド人だが(彼らが悪いかどうかは置いといて)、そもそも彼らはどんな集団(民族)なのだろうか。
2026年イラン戦争とクルド人問題は直接的な関係は無いが、乗りかかった舟なので簡単に紹介しておこう。
クルド人は「国家を持たない世界最大の民族」と呼ばれ、トルコ・イラク・イラン・シリアに分散しているスンナ派イスラム教徒を指す。
(より正確にはクルド人の2/3がスンナ派、1/3がシーア派)

クルド人は約2,000万人いると言われている
クルド人の大半はスンナ派イスラム教徒と書いたが、民族意識が強いためスンナ派国家と必ずしも相容れているわけではない。
1920年、(第一次世界大戦)戦勝国の英仏伊などが主導したオスマン帝国を解体する条約(セーブル条約)の中に将来クルド人国家を建国する可能性が記されていたが、オスマン帝国を倒して(=トルコ革命を)成立させたトルコ共和国(の初代大統領のムスタファ・ケマル)が反発し条約を作り直した結果(ローザンヌ条約)、クルド人国家の話は完全に消滅した。

トルコ共和国の初代大統領ムスタファ・ケマル
もともと現トルコの領域内に新たにクルド人国家が作られる予定だったのに、(トルコ革命の指導者の)ムスタファ・ケマルが「トルコ領土を分割してクルド人国家を建国するなんて絶対に認めん」と軍事的に阻止し、クルド人国家構想が消えたというわけだ。
こうしてクルド人国家は建国されないまま、クルド人地域は前述の4か国に分断したため、クルド人は各国の少数民族になってしまった。
(いつの世界も少数民族は迫害される立場にある)
クルド人は現在もクルド人国家の建国を夢見ているのではないだろうか。
イスラエル建国(1948)

イスラエル国旗
さて、ユダヤ人の話に戻ろう。
キリスト教が世界中に布教されるにつれ、ユダヤ人は「イエスを裏切った(殺した)悪魔の民族」として西暦132年のディアスポラ以来、世界中で迫害されてきた。
ユダヤ人迫害についてはナチスのホロコーストが最も有名な話だが、約2000年にわたってユダヤ人は世界中で迫害されてきたのである。

ヒトラー親衛隊がユダヤ人を連行している様子
そんなユダヤ人が考えることはひとつ。
我々ユダヤ人が安心して暮らせる国家を作るしかない!!
こうして19世紀末にユダヤ人国家建設運動(シオニズム運動)が始まり、1948年ついにユダヤ人は父祖伝来の地「パレスチナ」にユダヤ人国家イスラエルを建国した。
イスラエルの位置を、世界地図からエルサレムまでズームインしてみたのがこちら↓

なぜパレスチナなのか?
ユダヤ人はなぜパレスチナの地に国家を建設したのか。
実は答えはユダヤ教誕生編で既に出てきていたのだが、パレスチナの地は、ユダヤの聖典タナハにてアブラハムが神から
「カナンの地(現パレスチナ)をお前たちに永遠に与えよう」
と言われた、由緒ある土地だからである。

アブラハムが神からパレスチナの地を与えられた
(なんせ聖書に「パレスチナはユダヤ人の土地だ」と書かれているのだから)
その数千年前の神の主張を根拠に「パレスチナはもともと俺らユダヤ人の土地っすわ」と言って勝手にパレスチナにイスラエル国家を建国したのである。
しかしここに大きな問題がある。
ユダヤ人が世界中に散り散りになっていた数千年の間に、そのパレスチナの地には既にアラブ人が定住していたのである。
シオニズム運動とともにパレスチナ地域に集まってきたユダヤ人に対して、アラブ人からすれば「はぁ?数千年前の神の主張を根拠にされても困るんだが?!」といったところだろう。
なぜなら、実際にパレスチナの地に定住し、土地を守り続けていたのはアラブ人だからだ。

定住者(アラブ人) VS 移住者(ユダヤ人)
問題はここだ。
ユダヤ人はパレスチナに実際に住んでいたアラブ人を追い出して、半ば自分勝手にイスラエル建国を宣言したのだ。
「え、じゃあ悪いのはユダヤ人じゃん。」と思いそうなところだが、この問題はもっと根深いところに原因がある。
イギリスの三枚舌外交

先ほど、オスマン帝国の章であえて言及しなかったイギリスの三枚舌外交について説明しよう。
わたしは初めてこれを知った時、イギリスに強い憎しみを抱いてしまった。
「イギリスぅぅ、全てお前のせいやろがい!!!今からでも責任取れや!!」と心の中で叫んでしまった。
まあ聞いて欲しい。
イギリスは第一次世界大戦が始まってすぐの1915年、オスマン帝国をなんとか崩壊させたいと思っていた。
イギリス「あーオスマン帝国強ぇなー。邪魔だなー。消えて欲しいなー」
そこでオスマン帝国打倒のために、イギリスは「アラブ人」と「ユダヤ人」の双方に矛盾する約束をしたのである。
アラブ人にはこう約束した。

イギリスとアラブ人の約束
この【イギリス人⇔アラブ人】の約束をフセイン=マクマホン協定と呼ぶ。
一方、ユダヤ人にはこう約束した。

イギリスとユダヤ人の約束
この【イギリス人⇔ユダヤ人】の約束をバルフォア宣言と呼ぶ。
この時点で既に矛盾しているのがわかるだろうか。
オスマン帝国を倒したいがために、アラブ人とユダヤ人の双方に「オスマン崩壊後、パレスチナに国家を建設してもいいよ」と持ちかけたのである。
このように二枚の舌を使い分けたクズ国家イギリスだが、なんとさらにもう一枚隠していた秘蔵の三枚目の舌を使ってイギリスのクズムーブは完結する。
翌年、前述したサイクス=ピコ協定でフランスに「オスマン崩壊後の中東はフランスとイギリスで山分けっしょ?だから協力よろ!」と提案したのである。

オスマン跡地を適当に分割する大国
こうして、アラブ人・ユダヤ人・フランスの協力を得てイギリスはオスマン帝国を滅ぼすことに成功したのである。
なのでユダヤ人にとっても、「数千年前の神の主張を根拠に」というだけではなく、大国イギリスから正式にパレスチナでの国家建設を約束されていたのである。
こうしてユダヤ人国家「イスラエル」は建国された。

イスラエル国旗
余談だが、イスラエル国旗の六芒星は「ダビデの星」と呼ばれておりユダヤ人・ユダヤ教の象徴だが、諸説あるが歴史的に実在した実際のダビデ王との関連を示す証拠は無いらしい(←Wikipedia情報)
中東戦争
イスラエル建国(1948年5月14日)の翌日、近隣のアラブ諸国がイスラエルを攻撃した。
そう、建国の翌日に。
これが第一次中東戦争(パレスチナ戦争とも)である。
第一次中東戦争はイスラエルの全面的な勝利となり、イスラエルに土地を奪われたアラブ系住民はパレスチナ難民となって近隣のヨルダン、レバノン、シリアなどに逃れた。
難民となったパレスチナ人は、難民キャンプの粗末なテントや洞窟などで困窮を極めた生活を強いられることとなった。

(出典:パレスチナ難民キャンプ)
こうして第一次中東戦争後に、現在のイスラエルの領地が固定化されるようになった。

2026年現在のイスラエルの領土(赤い範囲)
上図の赤い範囲がイスラエルの領地、黄色の範囲がパレスチナ自治区を示している。
その後も、「イスラエル VS アラブ諸国」という構図で
- 第二次中東戦争(1956年10月29日)
- 第三次中東戦争(1967年6月5日)
- 第四次中東戦争(1973年10月6日)
が起きる。
戦争は四度ともイスラエルが勝利したが、第四次中東戦争でアラブ諸国はある重要なことに気付いたようだ。
「あれ、石油って武器になるんじゃね?」
「親イスラエル国家には、おれたちの石油、あーげない♡」
こうして第四次中東戦争では、アラブ諸国が親イスラエル諸国に対して原油輸出禁止・価格引き上げなどの措置を取り、イスラエルも妥協せざるを得なくなったり、日本でもトイレットペーパーの買占め騒動が起きたりしたのである。

(出典:「老いるショック」&「オイルショック」)
写真右下には、
と書かれてある。
これが石油危機(オイルショック)である。
イラン革命(1979)
さて、現在のイランは1979年2月11日に建国されたわけだが、それまではパフレヴィー朝(1925年建国)がイラン地域を支配していた。
パフレヴィー朝は、
- 親アメリカ
- 欧米化政策
- 軍事・経済でアメリカと同盟
という感じで、アメリカ資本と組んで石油資源の開発などを進め、その利益を独占する開発独裁の体制を続けていた。

パフレヴィ―朝とアメリカはいろんな意味で仲が良かった
つまり、アメリカとかなりの蜜月関係だった。
もともと国民の多くがシーア派のためパフレヴィ―朝も一応はシーア派国家とされるが、パフレヴィ―朝は政教分離、女性の参政権や服装などの西欧化を行い、宗教勢力や保守層から「伝統が壊れる」という反感を買っていた。

西洋化した服装でイラン国内を歩く若者
(アメリカのように)露出度の高い服を着て、コーラを片手に街中を闊歩する若者の姿は当時のイラン保守層には耐えられない光景だっただろう。
しかし、その後の王政では
- 秘密警察
- 言論弾圧
- 格差拡大
が進み、しかも石油で得たお金で王族は贅沢三昧(国民生活は貧しいのに)、酒や文化の欧米化などに宗教勢力と庶民が強く反発した。
こうして徐々に政権に不満が募っていた中、ついに1979年2月11日にホメイニ師を最高指導者としたイラン革命でパフレヴィー朝が倒れ、イスラム教シーア派の宗教指導者の指導する国家イラン=イスラーム共和国(現在のイラン)として再出発することになった。
ちなみにホメイニ師の写真がこちら↓

(出典:イスラム革命の指導者ホメイニー師とは?)
確かになんか強そう…。
1979年のイラン革命にて、ホメイニ師は
- 王政打倒
- イスラム教国家(シーア派)
- 反米
を掲げ、特に革命後に起きたイランアメリカ大使館人質事件では、学生がアメリカ大使館を占拠し館員52名を444日間拘束し、「イラン vs アメリカ」の敵対関係が完全に固定された。

(出典:BBC NEWS JAPAN)
これはイラン革命で打倒されたパフレヴィー皇帝が、癌の治療を口実にアメリカに亡命したことを受け、イランの革命政権が引き渡しを求めて激怒し、アメリカ政府に抗議すると同時に、テヘランのアメリカ大使館前では毎日のように反米デモが行われるようになっていたという経緯があった。
イラン vs サウジ(宗教対立)

イランとサウジアラビアの対立
前述したように、イスラム教は
- シーア派(約10%)
- スンナ派(約90%)
に大別され、イランはシーア派の盟主、サウジアラビアはスンナ派の盟主として中東世界に君臨している。

黄色がイラン、ピンクがサウジアラビア
冒頭でも書いたがイランは日本よりも4.3倍もの広大な面積を持つ、だがサウジアラビアの国土面積はそのイランよりも1.3倍も大きいのだ。
しかもサウジアラビアはイスラム教の聖地メッカとメディナを領有している。
また、そもそもサウジアラビアという国名は「サウード家のアラビア王国」という意味で、つまりこの国名は、サウード家という王家の名前がそのまま国名になっている非常に珍しいケースであり、アラビアという地域はサウジアラビアだけのものじゃないのに「アラビア地域はサウード家が領有している」と声高に宣言しているのである(もちろん王政)。
国家は王家の所有物的なニュアンスを含んでいる。
さて、両者の戦力としては、イラン側は
- シリア政権
- ヒズボラ(レバノン)
- ハマス(ガザ)
- イラクのシーア派勢力
- フーシ派(イエメン)
などを従え、サウジ側は
- スンナ派アラブ諸国
- 湾岸諸国
- アメリカと同盟
に影響力を持っている。
2026年4月現在「イラン」と「サウジ」が直接戦争をしたことはないが、その代わりにシリア内戦やイエメン内戦で代理戦争(プロキシ戦争)を行ってきた。
これも「シーア派 vs スンナ派」の対立構造と言ってよいだろう。
イスラム革命防衛隊(1979年)
イラン革命後、国軍とは別にイスラム革命防衛隊という軍事組織が結成された。

革命防衛隊の旗
普通の軍隊(国を守る)とは違い、革命防衛隊は
「革命体制(イスラム共和国)を守る軍」
であり、政府ではなく最高指導者直属の部隊となっている。

イスラム革命防衛隊(出典:BBC NEWS JAPAN)
つまり標的はイスラム国家体制を崩そうとする勢力であり、「イランの影響力が低下=結果的に革命体制が不安定になる」という桶屋方式の理屈で、海外の同盟勢力を支援して“間接的に体制を守る”こともある。
たとえば、
- レバノンのヒズボラ支援
- シリア内戦での介入
- イラクの民兵支援
- イエメンのフーシ派支援
- ガザ地区のハマス支援
など。

国軍を差し置いて、革命防衛隊は結構やりたい放題
「いやいや、勝手に行動されないよう国軍が抑え込んだらいいじゃん。」とわたしは思った。
しかし、今や革命防衛隊の方が国軍よりはるかに強力な組織となっているのである。
- 軍事(陸・海・空+ミサイル)
- 情報機関(スパイ活動)
- 経済(建設・石油・インフラ)
- 国内治安(デモ鎮圧など)
もはや革命防衛隊は巨大な複合権力組織となっており、『国家の中の国家』とも呼ばれている。

イランにも選挙はあるが…
その他、体制に都合の悪い政治家は排除されたり、革命防衛隊出身者が政界に多く進出したりと、表向きは選挙があるが実際には「体制に逆らう政治」が成立しにくい構造となっている。
なので、イラン政府は革命防衛隊の意向に反した公式見解を出すことはできない(と前述した斉藤氏は述べていた)。
イラン革命後のイランとは?

さて、イランと聞くと「よくわからないけどなんかコワい国」という印象を持っている人が多いと思う。
「イスラム教国家=女性の権利を制限」「イスラム教国家=テロが多い」みたいな。
かく言うわたしもそうだった。
だがイラン在住の日本人女性のYoutubeなどを観ていると「本当にいい国だ」とか「長年住んでいるが一度も怖い目に遭ったことがない」「一生この国で住むつもり」などとコメントしているのをよく見かける。

イメージ画像
「それ、言わされてない?」と少し不信感もあるが、調べてみるとイラン革命後の女性の大学進学率は年によっては6割を超え、実は男性よりも大学進学率が高かったりもする。
- また15~24歳の女性の識字率は99%で(イラン国民全体だと85%)
- 理工系卒業生の25%は女性で(日本よりも高い)
- 大学教授・研究者の約33%が女性で
- 医学生の約半分が女性で、
- 女性CEO・企業役員が約3000人いたり
- 文学・医療・芸術・教育などでは女性が多数派だったりする。

イランの女性は様々な分野で活躍している
要するに、政治イメージとは逆に教育分野では女性の存在感がかなり強い国なのである。
ちなみにイラン革命後のイランは革命前と比較して、
- 識字率は倍増
- 一人当たりGDP(豊かさ)も倍増
- 平均寿命は+20年(医療・衛生が大きく進歩)
- 人口は2.4倍
- 軍事力はアメリカ依存→自立型に進化
となり、イランの生活インフラはかなり進歩した。
イラン・イラク戦争(1980-1988)

1980年、中東でとても長いケンカが幕を開けた。
それがイラン=イラク戦争(1980〜1988)である。

イランとイラクは隣り合っている(黄色がイラン)
簡単に言うと「ご近所トラブルが8年続く大喧嘩になった」みたいな感じである。
当時のイラクは独裁者サダム=フセインが支配しており、一方のイランでは前年に革命が起きてイスラム原理主義の政権が誕生したばかり。
イラン「おぎゃあ、シーア派国家が生まれたよ~。ばぶー。」
フセインはこれを見て不安になった。

イラクの独裁者サダム=フセイン
「うちの国にもシーア派はいる。シーア派たちが団結して革命ムードが広がったらヤバいな~」
さらに問題は宗教、イラク政権はスンナ派中心でイランはシーア派国家。
イスラム世界の中でも派閥が違うため、もともと関係はよくなかったのである。
そこに石油問題と領土問題も加わった。
特にペルシア湾の油田や、シャトル=アラブ川の支配をめぐって対立していた。
隣国で起こったイラン革命をみて、焦ったフセインは「イランは革命で混乱している。今なら圧勝できるのでは?ワンチャンあいつらの石油も奪えるし」と考え、1980年にイランへ侵攻した。

余裕のフセイン
フセイン「去年できたばかりの国か、余裕じゃろ(笑)」
「あとイランの油田地帯の支配権も欲しいし…」
しかし余裕どころか、最初こそイラクが圧倒的に有利だったがイランが反撃して戦況は逆転する。
気がつけば両国とも引くに引けない泥沼戦争になっていたのである。

この戦争には周りの国も関わってくる。
アメリカやソ連、アラブ諸国は「イラン革命が近隣諸国に拡がると困る」と考え、イラクを支援した。
しかし戦争はどんどん激しくなり、ミサイルの撃ち合いも起き、さらにイラク軍は全戦線において化学兵器(毒ガス)まで使用したのである。
こうして8年以上も戦った結果、両国とも疲れ果て、1988年にようやく国連の停戦を受け入れ、戦争は終了した。
しかし残ったのは
- 膨大な死傷者
- 経済の崩壊
- そして大量の借金
特にイラクは戦争で借金だらけになった。

フセインが膨大な借金に苦しんでいる様子
そしてこの借金問題が、後にクウェート侵攻(湾岸戦争)へとつながっていく。
ホメイニ師、死去(1989年)
イライラ戦争終結の翌年、ホメイニ師は死去、代わりにハメネイ師がイラン最高指導者に就任した。

左ハメネイ師、右ホメイニ師(出典:wikipedia)
1986年8月13日
(ハメネイ師、だいぶ若い!!!)
ちなみにホメイニ師の最後の言葉は「灯りを消してくれ、私はもう眠い」で、ホメイニ師の葬儀の際には約1000万人が集まり、人類史上最大の集会の一つと言われている。
だが彼は、最後の最後までドラマを残している。
葬儀の際、棺の移送中に不手際があり、蓋が開いてしまい、中の遺体が外に落ちてしまったのである。
(え、マジか。一番あかんやつやろ、それ。)

それを目にした一部の参列者はショックで卒倒したのだが、多くの参列者は遺体の衣服や体の一部を「聖遺物」として持ち帰ろうと遺体に殺到したのである。
(衣服はまだわかるが、体の一部って…爪とか髪の毛とか?普通にコワいんですが)

これが暴徒化して、現場は混乱し、大騒動へと発展した。
Wikipediaによると、ニューヨークタイムズの記者が「群衆が遺体に殺到し、遺体が損傷するほどの混乱が起きた」と報告しているらしい。
(ワシントンポストにも同様の記述がある)
そして後日、厳重な警備体制の下で葬儀のやり直しが行われた。
以上、ホメイニ師の怖すぎる葬儀エピソードである。
その他にも、ホメイニ師のファトワー(死刑宣告)が原因で筑波大学助教授・五十嵐一氏が殺害されるという『悪魔の詩 殺人事件』なども起きている。
かなり簡単に紹介しているので(たぶん1〜2分で読める)、時間があれば読んで頂きたい。
湾岸戦争(1990-1991)
イライラ戦争終結からおよそ2年後の1990年8月、イラクのサダム=フセイン政権がなんの前触れもなく隣国クウェートに侵攻し、湾岸戦争が勃発した。

図中紫色がクウェート
後になってみれば、侵攻に至った理由は実にシンプル。
- イラン・イラク戦争で国家財政が破綻寸前だった。
特にサウジとクウェートに多額の借金があった - クウェートが石油を増産しており、石油価格が下落していた。
石油収入に依存するイラクには大打撃 - クウェートの巨大な油田が欲しかった。
- 国境付近の油田をクウェートが不正に採掘していると主張

イラク「借金の返済、ちょっと待ってくれんか?」
クウェート「自業自得だろ、ちゃんと期日までに払えよ?」
イラク「あ、それならさ。うちの財政厳しいから、石油を減産して値段つり上げるとかどう?」
クウェート「ん、うちは別に今の価格で構わないけど?むしろ価格下がってもいいから増産して販路拡げる予定だし(笑)」
イラク「ちょい待て、国境付近の油田、勝手に採掘してるだろ。この泥棒が!!」
クウェート「はぁ?知らねえし!証拠あんのかよ?」
イラク「はいプッチーン。もう完全にキレましたわ、ワシ」
こうしてフセインはクウェート侵攻に踏み切ったのである。
クウェートを攻め落とせば、借金はなくなるし、石油収入も増えるし、新たな油田も手に入るというわけだ。
フセイン「え、ワシ天才かも。」
そんなイラクの暴走を世界が黙ってみているわけがない。
アメリカをはじめとする多国籍軍が本気を出してイラク軍隊を鎮圧した結果、わずか100時間で戦争は終了。
その際、イラク軍の化学兵器は国連によってすべて破壊されたと言われている。

追い詰められるフセイン
多国籍軍「きみ、こんなことして、どうなるかわかってるよね?(ポキポキ」
フセイン「あ…死んだ。」
こうしてフセイン政権はクウェートから撤退し、以降イラクは厳しい経済制裁を受け、国力は大きく弱体化していく。
と同時に、その時アメリカ軍がサウジアラビアのメッカなどイスラム教徒の聖地に軍靴で踏み込んだことにイスラム過激派は強く反発し、それがやがて2001年9月11日の同時多発テロへとつながっていく。

イスラム教の聖地に駐留する米軍
イスラム教徒A「なんじゃあの格好はぁぁ!!」
イスラム教徒B「ここは彼らにとってはただの駐留地かもしれんが、我々にとっては聖域なのだ。あの言動はあまりにも侮辱的ではないか。」
イスラム教徒C「米軍はなぜ最低限の敬意すら払えないのか。この場所の神聖さを本当に理解していれば、そんな振る舞いにはならないはずだ。」
さっきのパフレヴィー朝の話と同じで、米軍が駐留する街では露出度の高い女性兵士が歩き回ったり、酒やコーラが若者の間で流行したりしたことで「イスラムの伝統を大事にしたい層」の恨みが徐々に積もっていったのである。
サウジアラビアの女性の権利

サウジアラビアの国旗
さて、ついでにイスラム教の聖地(メッカ・メディナ)を有するガチガチのイスラム国家サウジアラビアの女性の権利について簡単に紹介しておこう。
まず、外務省が公表しているサウジアラビアのページ(内政の現状)にはこのように書かれてある。
2016年12月の第三回地方評議会選挙では、初めて女性の選挙権・被選挙権が認められた。
2018年6月には、それまで禁止されていた女性の自動車の運転が認められた。
え、、
ちょっと待って。
うん…ん?
は……はぁぁぁ!!??

わかる、気持ちはよくわかる。
これを書いているわたしですら、にわかには信じられなかった。
2016年に女性の選挙権、2018年に女性が運転できる権利が認められた、なんて。
だがこれがサウジアラビアの現実なのである。
嘘だと思うならリンク元(外務省HP)を確認してほしい、マジで。
さらに、わたしもよく知らなかった「サウジアラビアの女性の服装規定」も調べてみた。

そして見つけたのがこちらのサイト。
(2026年の旅行者のためのサウジアラビアの服装規定ーなにを着るべきか、そしてなにを着ないべきかー)
簡単にまとめよう。
サウジ政府の基本方針は「公共の場では節度ある服装をすること」とあり、2019年以降アバヤ着用は法的義務ではなくなった。
2019年まで着用が法的義務だったという、その『アバヤ』なる衣装がこちら。

アバヤ(出典:THE SANKEI SHIMBUN)
繰り返す、2019年以降アバヤ着用は法的義務ではなくなった。
ちなみに国籍に関係なく公共ルールは共通なので、(2026年現在も)外国人観光客であっても「控えめな服装」は義務である。
首都リヤドやジェッダといった都市部では比較的自由だが、地方や宗教施設では未だに根強い服装規定(暗黙の了解)が残っている。
さて、2026年現在でもこんな状態なので、これが湾岸戦争時の1990年頃にパツキンの女性兵士がタンクトップで歩いていたりしたら、それはイスラム教徒の反感を買うのも理解できるというものだ。

これはダメだろう…
こういった理由もあり、次章の同時多発テロへと繋がるのである。
アメリカ同時多発テロ(2001)
2001年9月11日、ほぼ同時刻にアメリカ合衆国にある
- ニューヨークの貿易センタービル(ツインタワー)
- ワシントンの国防総省(ペンタゴン)
にハイジャックされた旅客機が激突した。

実際の写真(出典:THE TIMES OF INDIA)
ニューヨークでは二つのビルが崩壊し、約5400人が犠牲となり、ワシントンでは約190人が死んだ。
その犯人は19名のイスラーム原理主義者であり、彼らに指示を与えたのは国際テロ組織アルカイダを組織したウサマ=ビン=ラディンだと特定された。

ビン=ラディン
(出典:9.11から20年、「ビンラディン」がいまも英雄視される理由)
サウジアラビアの富豪の家に生まれ、イスラム教徒だったビン=ラディンは、
- 湾岸戦争後、アメリカがサウジアラビアに駐留したこと
(イスラム教の聖地メッカ・メディナに外国軍がいることへの反感) - 湾岸戦争後、イラクに厳しい経済制裁を課したこと
(イラクの一般市民の生活悪化に対する怒り) - アメリカがイスラエルを支援したこと
(ユダヤ教 vs イスラム教の問題)
などの理由により、反米感情を鬱積させていったと言われている。
そして2001年9月11日、あの同時多発テロが起きたのである。
2001年10月(テロからわずか一か月後)、アメリカは「アフガニスタンのタリバン政権がビン=ラディンを匿っている」としてアフガニスタンに侵攻し、空爆と地上軍を投入する大規模な軍事行動を開始した。

駐留米軍(出典:What is the toll after 20 years of war in Afghanistan?)
(いや、長すぎやろ!!)
しかし、タリバン政権は打倒したものの10年経っても主犯格ビン=ラディンの殺害もアルカイダの壊滅も成功していなかった。

アフガニスタンに駐留するアメリカ軍
オバマ大統領は2011年5月2日、特殊部隊がパキスタンの山岳地帯に潜伏したビン=ラディンを殺害した、と発表した。
ビン=ラディンの死後、後継者としてアイワン=ザワヒリがアルカイダの指導者となったが、2022年7月31日にバイデン大統領がドローン攻撃によりザワヒリを殺害した、と発表した。

このアメリカのアフガニスタン侵攻が原因となって、現在もアフガニスタン情勢は安定していない。
イラク戦争(2003)
ここまで見てきたように、イラク戦争前はサダム=フセインがイラクを独裁的に支配していた。
フセイン政権は、
- スンナ派政権
- 反イラン
- 反シーア派
という、文字通りシーア派国家イランの最大の敵の一つだった。

実際に両国はイラン・イラク戦争で8年間も戦ってきた歴史もある。
敵の敵は味方理論で、イラクは本来アメリカにとって共通の敵を持つ仲間であるはずだ。
しかし2003年、アメリカ政府(当時の大統領ジョージ・W・ブッシュ)は突如
「イラクは大量破壊兵器を保有している」
と主張し、イラクに侵攻した。

イラク侵攻を発表するブッシュ
結果、アメリカの介入によりフセイン政権は崩壊した。
サダム=フセインは米軍に拘束され、2006年12月30日にイラクの首都バグダッドで米軍からイラク政府に引き渡され、シーア派などへの「人道に対する罪」で絞首刑に処された。

(出典:フセイン元大統領の処刑ビデオ、「撮影者は厳重処罰」と首相 – イラク)
上記写真は、フセイン元大統領の処刑時に何者かにより隠し撮りされ、その後インターネットに流出した動画のキャプチャである。
隠し撮りされたフセイン元大統領処刑の非公式ビデオでは、宗派色をあからさまにして愚弄する立会人たちの態度が明らかになり、国内のスンニ派、シーア派間の緊張状態に油を注ぎ激化させている。
(出典:同上)
AFPの記事には、処刑直前のフセイン元大統領はシーア派の立会人たちに愚弄されていた、と読み取れる文章が書かれてある。(隠し撮りされているとも知らずに)
戦後の調査によると、アメリカ政府が言っていたような大規模な兵器は全く見つからなかった。
またアメリカは「イラクはアルカイダを匿っている」とも主張していたが、それも確たる証拠は出ていない。
こんな無茶苦茶なことが許されていいのか?
攻撃を受けたわけでもないのに一方的にイラクに侵略し、大統領を拘束したうえで「大量破壊兵器なんてありませんでした。ごめんね」など明らかに国際法に違反している(専門家でも意見が分かれるが、わたしはそう思っている)。
2026年1月のベネズエラ大統領拉致や、2月のイランの最高指導者ハメネイ師殺害など、明らかに常軌を逸している。
大国だから何をしても誰も文句を言えないと思っているのだろう。
別にトランプ大統領に限っていない、アメリカとは昔からそういう国なのだ。
イラク戦争、その後
イラクは人口の約6割がシーア派で、スンナ派のフセイン政権が崩壊すると同時に(待ってましたとばかりに)シーア派政権が成立し、イラクは親イラン国家になってしまった。

アメリカからすれば、
- イラン=敵
- イラク=敵の敵=味方
- でも侵攻しちゃった。
- イラクとイランがシーア派の同盟国に。
- 結果的にイラン側が強くなった。
という皮肉な結果になってしまったのである。
アラブの春(2011)
2010年、北アフリカのチュニジアで失業中の青年が警察の不当な扱い(暴力や賄賂の要求など)に抗議して焼身自殺をした。

図中紫色の国がチュニジア(北アフリカ)
ここで特に注目したいのがイスラム教における焼身自殺の取扱いである。
イスラム教の世界観では、人間は死後いずれ訪れる最後の審判を経て復活するわけだが、復活の大前提としてこの世で使っていた肉体、つまり遺体が残っている必要がある。
イスラム教について知りたい方は、以下のブログがわかりやすかったので下に貼っておく。
つまり焼身自殺は最後の審判を受ける権利を放棄するという、イスラム教徒にとって最大のタブーなのである。
さて、この青年の焼身自殺をきっかけに民衆デモ(独裁政権打倒&民主化)が広がり、2011年に23年間チュニジアを独裁的に支配してきたベン=アリ大統領の独裁政権は崩壊し、ベン=アリ大統領一族はサウジアラビアに亡命した。

ベン=アリ元大統領
(出典:ベン・アリチュニジア前大統領が死去)
この劇的な変革は、チュニジアで最も広く見られる花の名を付けてジャスミン革命と呼ばれる。

ジャスミン革命のイメージ
アラブ世界へ拡大
このチュニジアの民主化運動の成功は、アラブ各国の強権政治に苦しんでいた民衆たちに瞬く間に広がった。
- エジプト:ムバラク政権(約30年)が崩壊
- リビア:カダフィ政権(約42年)が崩壊
- イエメン:サレハ大統領(約34年)が退陣
この一連の民主化運動をアラブの春と呼ぶ。

チュニジアを出発点とし、中東各国の独裁国家が倒れていった。
「ついに、独裁の多いアラブ地域にも民主化の波が来たか〜、待ってたぜベイベー」
と喜んだのも束の間、独裁政権が倒れた後も多くの国で問題が起きた。
「独裁政権が倒れてみんなハッピー♡」とならないのが人間社会の難しいところ。
- 部族対立
- 宗教対立
- 政治の混乱
独裁者が倒れて権力の空白が生まれると、「独裁者が倒れた今こそ、権力を握る千載一遇のチャンス!」と多くの勢力が動き出し、権力争いが一気に表面化することで国内の混乱はさらに深まってしまう、という弊害もあったのである。
焼身自殺を図ったその青年は、当初「チュニジアの誇り」として広く称えられ、その名は首都チュニスの大通りに冠されるほど、国民的な象徴となった。(=ブアジジ通り)
だがあれから15年が経った今、ほとんどの国民にとって、革命は生活水準の低下をもたらした。2010年以来この国の経済成長率は半分になり、特に若者の失業は深刻で、失業者の85%を若者が占めているのである。
2010年12月、露店で果物を売っていた26歳の若者は、当局の嫌がらせに抗議して焼身自殺を図った。これがきっかけとなり、…
「アラブの春」の発端となり、人々に抗議の火をつけた彼は、今や一部の国民から怒りすら向けられているのだという。
また、アサド親子による40年に及ぶ独裁政権が続いていたシリアでも民衆が蜂起したが、ここではロシアやイランなどの支援を受けたアサド大統領側が激しく反撃し、深刻なシリア内戦が勃発した。

シリアのアサド大統領
(出典:THE WALL STREET JOURNAL)
その混乱の中から「イスラム国(IS)」という新たな軍事勢力が台頭するなど、事態は深刻さを増している。
しかし2024年12月、反政府勢力は首都ダマスカスを占領し、53年の長きにわたる非人道的なアサド親子政権は崩壊した。
イラン核合意(2015年)

イスラエルとイランの間には、宗教対立とは異なる、もう一つの深刻な火種が存在する。
それが、イラン核合意をめぐる問題である。
この問題を理解するためには、イランの核開発に至るまでの長い歴史を押さえておく必要がある。
とりわけ、核兵器保有の可能性をめぐる国際社会との駆け引きは、単なる軍事的対立にとどまらない。そこには
- 国家の安全保障
- 体制の維持
- 地域覇権をめぐる思惑
が複雑に絡み合っている。
本項ではめちゃくちゃザックリ紹介していく。
2002年
イランの18年間にわたる未申告のウラン濃縮が発覚し、アメリカとイランの関係が急激に悪化。

イランのウラン濃縮が発覚した
2005年
イランに核兵器推進派の政権が誕生し、「核開発は平等な権利」と主張。
ただしイスラエルとは異なり、核拡散防止条約に留まりIAEA(国際原子力機関)の査察を受け入れることを表明した。
2006年
アメリカ主導で経済制裁が開始され、イラン経済に大打撃。

経済制裁でイランがボロボロに
(2025年10月時点でのIMF推計では)物価上昇率の年平均値が42.50%、つまり2年で物価は倍、10年後には物価が34倍になる計算。
(経済制裁がキツ過ぎるので)反米路線を批判する声が高まる。
2013年
大統領選で穏健派のロウハニ師が当選したが、国家の最高指導者は依然としてハメネイ師であり、反米姿勢は継続。
(生活が厳しい国民の不満は溜まる)
2015年7月14日
イランが核開発を制限することの見返りとして、アメリカ含む主要6か国+EUが経済制裁を解除するという合意(イラン核合意)が成立した。
- 高濃縮ウランを削減
- 核施設を制限
- IAEA査察受入
2016年
IAEAがイランの核施設削減を確認し、制裁解除。

経済制裁解除で生活が少しマシになるイラン
ただしイスラエルは、「イランは制限されながらも核開発を続けられるではないか。完全禁止だ、完全禁止!!」と反発した。
イスラエルは核拡散防止条約(NPT)に未加盟、イランは加盟国なので査察対象。
2017年
アメリカ大統領選で、イスラエルと関係の深いトランプ氏が就任。
トランプの娘イヴァンカとその夫(クシュナー)はユダヤ教徒。
クシュナーは非常に優秀な男で、大統領に法的・政治的に助言する大統領上級顧問という役職に就いている。
なのでトランプ政権が親イスラエル政策に傾くのも頷ける。
2018年
「核合意はイランに甘い」「ミサイル問題が未解決だ」
と突然イチャモンを付け、トランプ政権がイラン核合意から離脱し、一方的に対イラン制裁を再開した。
(ほら、早速出た、トランプの親イスラエル政策)
2019年
アメリカの核合意離脱を受け、イランはウラン濃縮再開(核開発の拡大)を表明。

核開発再開を表明
ハメネイ師「アメリカがそう出るなら、わしらも核開発を進めるぞ?そちらが先に始めたのじゃぞ」
2020年
トランプ大統領が、ドローン攻撃でイラン革命防衛軍のソレイマニ司令官を殺害し、イランの反米感情が爆発。
イラン国民「いや、おまえらアメリカこそがテロ国家やないかい。」
2021年
バイデン政権に代わり、EU仲介のもとイラン核合意の交渉を復活。

イラン核合意の交渉再開
しかし「制裁解除」「核制限」を巡り交渉は難航。
ハメネイ師「これは、おまえ(アメリカ)が始めた物語だろ。」
2023年
イランが高濃縮ウラン(約60%)を生産していることが確認される。
60%でも十分に兵器級だが、核兵器には90%の高濃縮ウランが必要なため、核兵器完成まであと一歩と国際社会が警戒(60%→90%はすぐ)
ちなみに平和的利用(原発の燃料)に使われるウランの濃縮率は3~5%ほどなので、イランが兵器転用を目指しているのは明らか。
2025年
IAEAは、イランの濃縮ウラン量が核兵器数発分に相当する可能性があると報告。
イスラエルがイラン国内の核施設や軍司令部を攻撃し、その日の夜、イランはイスラエル本土に報復攻撃し、両国は事実上の交戦状態となった。
2026年2月28日
イスラエル・アメリカ両国がイランを攻撃し、イラン最高指導者のアリー・ハメネイ師を殺害した。
と、こんな感じになっている。
イスラエルにとって最大の関心は、イランが将来にわたって決して自国の脅威とならないことである。
そのため、単なる制限や監視にとどまらず、核開発能力そのものの無力化、すなわち完全な武装解除に近い状態を求めているのは明らかである。

イランにTACOるトランプ
一方で、トランプがTACOって妥協や段階的な合意が模索される場合、それはイスラエル側からすれば十分とは映らない可能性が高い。
むしろ、「脅威の芽を完全に摘み取るべきだ」という強硬な立場との間で、国際社会との温度差が生じる構図が見えてくる。
ビッグマウスの申し子・トランプ大統領のTACOり具合があまりにもおもしろいので、いつか「TACO劇場:史上最強のはずが、なぜか毎回引く」というタイトルの記事も書きたいと思っている。
イラン vs イスラエルの対立激化
イランはこれまで、直接イスラエルと戦うのではなく、周辺地域の武装組織を支援してイスラエルを包囲する戦略を取ってきた。

これはよく「代理戦争(プロキシ戦争)」と呼ばれる。
中心になるのが レバノン・シリア・ガザ・イエメンの4地域である。
レバノン(ヒズボラ)
1982年の、イスラエル軍のレバノン侵攻に抵抗する組織としてレバノン南部に誕生したのが、シーア派イスラム武装組織ヒズボラである。

ヒズボラの旗
同じシーア派組織として、イランは
- 資金
- 武器
- 軍事訓練
などを支援しており、現在は数万発のロケットや高性能ミサイルを持つとまで言われている。

レバノンはシリア北部の隣接国
イスラエルとは2006年に大規模な軍事衝突を起こしており、イスラエル北部の最大の脅威となっている。
ヒズボラのもう一つの顔

イスラム教過激派テロ集団のひとつと見られているヒズボラだが、レバノン政府や国際社会が求める武装解除にも応じず、現在もレバノン南部を実効支配し、住民に病院や学校を提供していたり、宗教指導者ナスララ師(※故)のもとで、イスラエルの空爆犠牲者の遺族の保護、病院や学校以外にも町の清掃事業やがれきの撤去など、住民に密着した活動を行い、住民の強い支持を受けている側面もある。
これを知らずに一概に「ヒズボラ=テロ組織=悪」と決めつけるべきではない。
レバノンの親イラン武装組織ヒズボラの幹部、ハッサン・ファドララ氏は26日、イスラエルとの停戦後もヒズボラが「存続」し、避…
2024年9月28日、イスラエルのベイルート空爆でナスララ師は死亡している。
(ベイルート=レバノンの首都)
シリア(民兵組織)
イランはレバノンのヒズボラに武器を輸送するルートを確保するため、シーア派系(アラウィ派)のシリアのアサド政権も支援していた。

経由国シリアのシーア派組織にも武器を渡すイラン
イランの目的はシリアに軍事基地やミサイル拠点を作ることだが、イスラエルはイラン基地や武器輸送を頻繁に空爆しており、イスラエル vs シリア(イランの影)の戦争が続いている。
ガザ(ハマス)
2006年にパレスチナ自治区の総選挙で第一党となり、ガザ地区を実効支配しているのがスンナ派イスラム武装組織ハマスである。

ハマスの旗
ハマスはスンナ派だが、イスラエルと戦うためシーア派国家のイランとも協力関係にある。
ハマスの特徴はなんと言っても、イスラエルとの全面対決を主張している点だろう。
経済封鎖状態にあるガザ地区の解放を目指し、度々イスラエルをロケット弾などで攻撃し、イスラエルがそれに報復するという戦争状態にある。

ガザ地区は青空監獄と呼ばれており、イスラエルに実質支配されている
イランからは
- 資金
- ロケット技術
- 軍事訓練
を提供され、イスラエルに対しロケット攻撃、地下トンネル、ゲリラ戦を行っている。
しかしハマスもレバノンのヒズボラと同様に、貧困に苦しむガザの民衆に対する医療、教育などの生活支援も行っている。
イエメン(フーシ派)
2015年に、イエメンからの分離独立を主張して武装蜂起・クーデターを起こして大統領を辞任に追い込んだのが、北イエメン北部を拠点とし、イランの支持を受けているシーア派組織フーシ派である。
改めて、シーア派とスンナ派の地図を見て欲しい。

(出典:Iraq War Deepens Sunni-Shia Divide)
アラビア半島南部のYEMENに孤立する黄色い島、これがフーシ派を表している。
つまりフーシ派は南側からの圧力担当なのである。
「でも、フーシ派ってイスラエルから遠いし、規模も小さいし、周りはスンナ派だらけで孤立している。利用価値なくない?」
そう思わなかっただろうか?
少なくとも、わたしは一瞬そう思った。
しかし地図を見てみるとその疑問はすぐに解消された。

イエメンの位置に注目!!
なにか気付かないだろうか?
そう、イエメンは紅海の船舶の命運を握れる場所に位置していたのである。
ヨーロッパからアジアへ向かう船にとって、本来の最短ルートは実にシンプルだ。

地中海からスエズ運河を抜け、バブ・エル・マンデブ海峡を通過すれば、あとは一直線にアジアへ到達できる。
ところがここで、イエメン―ーすなわちフーシ派が登場する。
この海峡を事実上『危険地帯』にしてしまうことで、海運業者にこう言い放つわけだ。

「そこ通る?自己責任でどうぞ」と。
その結果どうなるか。
船は安全を優先し、アフリカ大陸をぐるっと回る――いわゆる喜望峰ルートへと迂回することになる。

地図で見ると一目瞭然だが、これはもう「ちょっと遠回り」というレベルではない。
Dr.STONEでも全く同じ話が出てきたが、それによるとインドに行くのに希望峰周りだと20,000km、スエズ運河を通ると9,000kmらしい。
つまり彼らは、遠く離れた場所からでも、世界の物流に対して強烈なブレーキをかけることができる存在なのである。
イランからすれば実に頼もしい味方だろう。
【速報】2026年3月28日のニュースで、ほら。

紅海にも影響とはつまり、バブ・エル・マンデブ海峡のことである。
イスラエルの諜報組織『モサド』

モサドの旗
さて、イラン側の勢力だけでなくイスラエルの諜報機関「モサド」についても紹介せねばなるまい。
幼少期よりゴルゴ13を愛読してきたわたしにとって、「モサド=ほぼリアルゴルゴ13」である。
まさか漫画の中から飛び出して、リアルモサドを紹介する日が来ようとは夢にも思っていなかった。

モサドとは、イスラエルの対外諜報機関である。
イスラエルには大きく分けて、
- 国内の治安維持のためにテロ対策や情報収集、スパイ摘発などを担当する『シンベト』
- 海外での秘密工作を担う『モサド』
の二つの諜報組織が存在する。
モサドはアメリカのCIAやイギリスのMI6と同等の機関で、モサドの任務は
政治・軍事・経済などあらゆる面で、イスラエルにとってマイナスになりうる脅威を排除するための情報収集を行い、諜報活動、秘密工作、破壊活動などを行う組織
である。
モサド特有の、CIAやMI6とは明らかに異なる特徴はズバリ、超攻撃型・実行重視という点である。

冒頭で紹介したようにイスラエルは非常に小さな国で(日本の四国と同じくらい)、イスラム教国家に囲まれているユダヤ教国家という地政学上の理由からも常に亡国の危機にさらされている(と、少なくとも自分たちは考えている)。
なのでモサドはとにかく『意思決定』が早く、『先手必勝』で『暗殺』を積極的に実施している。
モサドの情報収集は、数ヶ月〜数年かけることも普通で、
- 現地協力者(スパイ)を作る
- 監視・盗聴・サイバー
- 偽会社・偽身分を使う
- 高度な変装
なども普通に行っている(らしい)。
その情報を分析し、標的が本当に脅威か精査したうえで、政府レベルで最終判断を下す。
実行は一瞬で、痕跡はほとんど残さない。
(事実として、モサドが絡んだ暗殺事件において防犯カメラに証拠が残っていることはほとんどない。もちろん偶然ではない)
古い話だと、1972年にミュンヘンオリンピックで起きた国際テロ事件の報復行為がある。
(映画『ミュンヘン』の元になった事件)
オリンピックの選手村にパレスチナの武装勢力が侵入し、イスラエル代表団の選手11人全員を殺害した。
イスラエル政府は報復として、モサドによる秘密作戦を開始し、世界中にいる実行犯、指示役など犯行に関与した人物11人を追跡、次々に暗殺していった。
最近だとこんな話もある。
ヒズボラの幹部が自宅で家族と団らんしていた際、急に発信元不明の着信があり「これから君の家を爆撃する。家族を巻き込みたくなければ君だけ玄関に出てきなさい」と言われ、幹部が家族に別れを告げて一人玄関に出たところ、イスラエルの精密射撃(爆撃?)で殺害されたという話がある。
その他にも、レバノンの首都ベイルートを運転中の一般人のもとに電話があり、「これから君の前の車を爆撃するので車間距離を空けなさい」と言われ、その数秒後に実際に車が爆撃された、という話などもある。
要するにモサドの諜報能力は我々一般人が想像もできないほど高い、ということだけは覚えておいて欲しい。
イラン戦争 時系列でまとめてみた

では2026年のイラン戦争へと至る道のりを、2023年のイスラエル・ガザ戦争から一気に振り返っていこう。
本来であれば、各軍が発動した「作戦名」を軸に時系列で整理するのが一番それっぽい。いかにも軍事ブログらしく(軍事ブログではないが)、読み物としても映える。しかし調べてみると、すべての攻撃に作戦名が付いているわけではなく、むしろ無いケースも多い。
結果として「あるものとないもの」が混在し、かえって分かりづらくなるという本末転倒な事態に陥りかねない。
ということで今回は潔く方針転換。
時系列はシンプルに追いつつ、「個人的にカッコいいと思った作戦名だけをまとめて紹介する」という、ややミーハー寄りのスタイルでいくことにする。
まずはラインナップを見てほしい。
- ァル=アクサ洪水作戦(ハマス)
- 鉄の剣作戦(イスラエル)
- 真の約束作戦(イラン)
- 悔恨の日々作戦(イスラエル)
- 覚醒するライオン作戦(イスラエル)
- 真夜中の鉄槌作戦(アメリカ)
- ライオンの咆哮作戦(イスラエル)
……どうだろうか。
正直なところ、「え、中二病?」と一瞬ツッコミたくなるネーミングセンスである。しかし残念ながら(?)、これらはすべて実在する正式な作戦名である。
ちなみにイランの「真の約束作戦」は1~4まであったり、他にも「北の矢作戦」とか「ギデオンの戦車作戦」など多数ある。
チャッピーにそれぞれの作戦名からイラストを作成させてみたのがこちら。

チャッピーよ、「ライオンの咆哮作戦」の代わりに「ギデオンの戦車作戦」が二枚あるぞ…ポンコツめ。
これらの作戦名は聖書や神話に由来しており、そこには明確なメッセージや意図が込められている。つまり「カッコいい」だけで終わらない、ある種のプロパガンダでもあるのだ。
気になる作戦名があればご自身でチャピるかググってくれ。
2023年の出来事まとめ
10月7日
ハマスがイスラエルに4000発以上のロケット弾を撃ち込む。

ガザ地区からイスラエルに向けて発射されるロケット弾
イスラエルは報復としてガザを空爆→ガザが戦場に。
(2025年10月10日、イスラエル-ハマスの停戦合意が成立)
中東全体に戦火拡大

ガザ戦争の途中から戦闘は中東全体に拡大する。
- レバノンではヒズボラがイスラエル北部を攻撃。
- 紅海ではフーシ派がイスラエル関連船舶を攻撃。
- イラク・シリアでは親イラン民兵が米軍基地を攻撃。
ハマスもヒズボラもフーシ派も民兵も、全てイランが裏から支援をしているとイスラエルは断定し、「イスラエル vs イラン勢力」という構図が明確になった。
2024年の出来事まとめ

4月
イスラエルはシリアの首都ダマスカスのイラン大使館を空爆し、イラン側の上級司令官を含む7人を殺害した。
これに対してイランがイスラエル本土に報復攻撃をし、さらにその攻撃に対してイスラエルがイランに報復攻撃をするという応酬が続く。
7月31日
イスラエルはイランを空爆し、首都テヘランに滞在していたハマス最高幹部ハニヤ氏を殺害する。

ハマス最高幹部ハニヤ氏(出典:BBC NEWS JAPAN)
(絶対モサドやん…)
8月
イスラエルは占領下のヨルダン川西岸地区に大規模な軍事作戦を開始した。
9月27日
イスラエルがレバノン首都のヒズボラ本部を空爆し、ヒズボラの最高指導者ナスララ師を殺害、その報復にイランが弾道ミサイルでイスラエルを攻撃した。

ヒズボラ最高指導者ナスララ師(出典:日テレNEWS)
(絶対モサドやん…)
10月
早朝に2000km以上の長距離飛行を行いイランの軍事施設を空爆、午前6時頃イスラエル作戦機が無事に帰還し、作戦終了を発表した。
2025年の出来事まとめ

1月
フーシ派がイスラエルへミサイルやドローン攻撃を繰り返していたため、イスラエルがイエメンのフーシ派拠点を空爆。
5月
イエメンのフーシ派がテルアビブの空港に弾道ミサイルを発射し、報復としてイスラエルがイエメン空爆を本格化した。
6月13日
イスラエルがイラン国内の核施設や軍司令部を攻撃し、その日の夜、イランはイスラエル本土に報復攻撃し、両国は事実上の交戦状態となった。
その後、アメリカもイラン国内の複数の核関連施設を軍事攻撃したが、わずか12日後にイスラエル-イラン間で停戦合意が成立した(=12日間戦争)
8月
イスラエルがイエメンの首都サヌアを空爆し、フーシ派政府の首相、国防相、参謀総長などが死亡。

フーシ派参謀総長
(出典:TBS NEWS DIG)
(絶対モサドやん…)
9月
イスラエルが再度イエメンを空爆。
12月
経済危機、通貨リアルの暴落、物価高騰をきっかけに、イラン全土で反体制デモが勃発した。体制転換を求める声も含まれたこのデモは、1979年の革命以来最大規模となった。
(この大規模デモを裏から先導したのも、もちろんモサドだと言われている。)
2026年の出来事まとめ

2026年の大きな出来事は順次更新していく予定だ。
1月
イラン政府は、デモ参加者を弾圧し、数千人の死者を出した。
2月28日
イスラエル・アメリカ両国がイランを攻撃し、イラン最高指導者のアリー・ハメネイ師を殺害した。

イラン最高指導者ハメネイ師
(出典:Mt.OLIVE NEWS)
(絶対モサドやん…)
イランは即座に報復攻撃を行った。
3月
アメリカがイランに無条件降伏を要求。
イランが、事実上ホルムズ海峡を封鎖し、約600隻の船が足止めされ、原油価格が急騰する。
イエメンのフーシ派がイスラエルにミサイルを発射、紅海も事実上封鎖状態か。
4月
1日、トランプ大統領が「イランが米国に停戦を要請してきた!!」と喜々としてSNSに投稿するもイラン側は「虚偽だ」と否定。
トランプ大統領が「目標は達成された」として2~3週間以内の撤退を表明。
2日、トランプ大統領が「今後2-3週間で、彼らを本来あるべき石器時代に戻す」と発言するも、イラン動じず。
4日、イランがアメリカ軍戦闘機を撃墜。アメリカがイランに対し、48時間の一時停戦を提案したとイランメディアが報じる。
7日、トランプ大統領がSNSにて「今夜、一つの文明が滅び、二度と復活することはないだろう。起きてほしくないが、おそらくそうなるだろう」と発言。(緊張が高まる)
また、軍事作戦への協力をめぐり「日本は我々を助けてくれなかった」と、日本やNATOなどを名指しで不満を表明。
(いや、知らんがな。おまえが勝手に始めた戦争やろ)
8日、アメリカとイランが2週間の停戦に合意。
(イスラエルは『停戦合意にはレバノンは含まれていない』と独自の謎解釈を展開し、停戦の翌日にレバノンに大規模空爆を行った。)
12日、米イラン協議合意に至らず(←今ここ)
アメリカとイスラエルの微妙な関係

さて、最後にアメリカとイスラエルの微妙な関係についても紹介しておこう。
おそらく多くの方は「イスラエルとアメリカは二人三脚でイラン戦争を続けている」と考えているかもしれないが、実は全くそんなことはない。
アメリカは今すぐにでもイラン戦争から手を引きたいのに対し、イスラエルはまだまだ戦争を続けたいからである。
アメリカ側の気持ち(推測)
車社会のアメリカではガソリン価格が上昇すると顕著に支持率が落ちるため、イランがホルムズ海峡を封鎖してからトランプ大統領は気が気でないはずだ。

実際、アメリカではイラン戦争後にガソリン価格が急上昇している。

(出典:アメリカ ガソリン価格(速報)2026年4月2日まで)
車なしでは生きていけない国で、ガソリン価格が急上昇する。
すると有権者はこう思う。
「外交?安全保障?どうでもいいからガソリン代を安くしろ!!」

2026年11月にはアメリカで中間選挙があり、このまま高価格なガソリン価格が維持されるとほぼ間違いなく与党の議席は半減するだろう。
(わたしのアメリカ人の友人たちは皆、そもそもトランプ大統領の一期目から「なんでアイツが選挙に勝てたんだ‼︎アメリカは終わった…」とSNSで強烈に批判していた。)
レガシー作りを最優先にしているトランプ大統領にとって、(全くもって自分の得にならない)このイラン戦争からは今すぐにでも手を引きたいはずだ。
知らない人も多いが、実はアメリカは世界最大の産油国で、原油輸出量も世界最大である。
(産油量の2位がロシア、3位がサウジアラビア)
「じゃあ自国民にだけ原油を安く提供して、世界に高値で売り付ければ最強じゃね?」と思わないだろうか?
少なくともわたしはそう思った。
ガソリン価格を安く維持すれば国民の不満も溜まりづらいというものだ。
しかし、これは理論的には可能だが、現実的には不可能らしい。
なぜなら、アメリカの石油会社は民間企業なのでわざわざ安く国内に売る理由が無い、高く買ってくれるところに売る。
そしてアメリカだけ原油価格が安いと世界中の商社がアメリカで原油を買って海外に売ろうとするのだ。

例えば、世界の原油価格が100ドルなのに、アメリカ国内だけ50ドルだったとする。
すると商社は「アメリカで50ドルで買って、海外で100ドルで売れば儲かる」と考える。
こうして原油が大量に海外へ流れると、アメリカ国内の原油は減り(だが需要は変わらないので)、価格はどんどん上がっていく。
そして最終的に、世界の価格に近づいてしまう。(これが市場原理)
なので世界の原油価格が上がるとアメリカの原油価格も上がる(上がらざるを得ない)のである。
イラン戦争を始めた理由は?
では、そもそもなぜアメリカはイラン戦争に自ら足を踏み入れたのだろうか。
これは2026年の年始にベネズエラの斬首作戦が成功したことで、「まあイランも斬首作戦でパパッと終わるでしょ」と甘く考えていたからだと言われている。
イラン政権をサクッと叩く(確かにハメネイ師殺害は成功)
→ 体制が崩れる(あれ、崩れない)
→ 勝利宣言(どころか、TACOの嵐)
→ ノーベル平和賞に一歩前進(どちらかと言うと戦犯?)
ところがトランプ大統領の思い通りに事が運ぶほど、現実は甘くなかった。

「短期決戦」という期待は、トランプ大統領の頭の中に広がるお花畑での話。
気がつけば戦争は長期化し、原油価格は不安定化し、支持率はじわじわ削られていく。
また、前述したように、トランプ大統領の娘イヴァンカとその夫クシュナーはともにユダヤ人で、しかもクシュナーは大統領上級顧問という大統領に助言する職に就いている。
米国に住むユダヤ人の比率は人口の2%ほどだが、比率以上に大きな政治的、経済的な影響力を有しているのでトランプ大統領としても明確に親イスラエル政策を放棄することはできない。
(そもそもトランプ大統領が、順調に進んでいたイラン核合意を一方的に破棄してイランへの経済制裁を再開したのは、ネタニヤフがそれを望んでいたからだろう)
現に、2018年にトランプ大統領はイェルサレムをイスラエルの首都だと承認し、大使館をイェルサレムに移転している。
(※現在はアメリカだけが勝手に承認している状態)
このように、どこまでもユダヤ人びいきのトランプ大統領であった。
なる早で撤退したいトランプ大統領の苦悩

イランをパパッと叩いてサッと撤退する予定が、ここまで長引いてしまったのはトランプ大統領にとっては大誤算だっただろう。
そして今、最もやりたいことは明確だ。
「なるべくカッコよく撤退すること」
である。ただし条件がある。
- 負けには見せない
- 成果は盛る
- 相手には譲歩させる
- でも早く終わらせる
つまり、「勝ったことにして早く帰りたい」という、どこかで見たことのある大国ムーブである。
(いや、そもそもおまえが始めた物語だろ…)
ただ、早く終わりたいからと言ってアメリカに不利な条件で妥協するわけにもいかない。自国民に、
「わざわざ自分から核合意を破棄して、イランに戦争仕掛けて、1か月以上も戦争して、ガソリン価格が急上昇した挙句、結局不利な条件で妥協して終戦って…バカなの?」
と支持基盤のMAGA層からも批判されかねないので、なるべく有利な条件で終戦しなければならないのだ。

しかし問題がある。相手側もまったく同じことを考えているのだ。
当然ながら、交渉はこうなる。
- アメリカ:「譲れ」
- イラン:「そっちが譲れ」
- イスラエル:「そもそも終わらせるな」
見事な三すくみである。
アメリカ大統領の苦悩はまだ続く…。
ではイスラエル側の気持ちも推測してみよう。
イスラエル側の気持ち(推測)

イスラエルのネタニヤフ首相にとって、アメリカと共にイランを攻撃できるこの千載一遇の好機はそう簡単に手放せるものではない。
何しろワシントンには、あのドナルド・トランプが戻ってきたのだ。

ネタニヤフ首相の希望通りに、世間の批判も厭わず親イスラエル政策をバンバン進めてくれるトランプ大統領の任期中は、いわばイスラエルにとってはボーナスタイムなのである。
もっとも、当のアメリカはというと、最近は中東情勢よりも国内政治や別の地域に関心が移りつつあり、
「イラン?早く終わりにしたいなぁ。ダル~」
くらいのテンションに見える。

つまりアメリカとしては、正直そろそろ距離を取りたい。
しかしイスラエルとしてはそうもいかない。
ヒズボラ、フーシ派、各地の親イラン民兵組織、そしてもちろんイラン本体。このあたりを「アメリカが完全に撤退する前に、できるだけ攻撃しておきたい」というのが本音だろう。
世間の批判を一手に受け止めてくれるトランプ大統領というボーナスタイムもそろそろ終わりが近づいているからだ。
ネタニヤフ首相が戦争を継続したい理由

しかし、ネタニヤフ首相が戦争を続けたい理由はもう一つある。
ネタニヤフ首相は現在、イスラエルの検事総長に
- 贈賄
- 詐欺
- 背任
という、考えただけで背筋が凍るほど重たい罪のフルコースで訴追されているのだ。
ただし今は戦争中。
国家非常事態という便利な背景のおかげで、その裁判は現在うやむやになっている。

だが一旦戦争が終わって平和で落ち着いた日常が戻ってしまうとどうなるか。
「さて首相、そろそろ続きをやりましょうか」
……となると、政治的には少々、いやだいぶ困る。
(イスラエルでは2026年秋に総選挙が実施される)
終戦すると自分の命を懸けた汚職裁判が始まってしまうため、なるべく戦争を終わらせないように必死なのである。

(もしくはイスラエルの自国民が納得できるくらい敵勢力を叩き潰した場合も恩赦がもらえる可能性が高い)
イラン側の交渉人が次々に殺害される不思議

不思議なことに、アメリカとイランが二国間で「まあまあ、一旦落ち着いて話し合いましょう」と交渉を始めるたびに、なぜかイラン側の交渉関係者が爆発したり、消えたりする。
そのたびに交渉は振り出しに戻る。
偶然なのか。
運命なのか。

戦争を早く終わらせたいトランプ大統領はネタニヤフ首相に対して、「交渉人を殺すのは…まあ…できれば控えてくれないか?」と、遠回しにメッセージを送ったという話もある。
2026年4月8日に『2週間の停戦』が実現したが、現状ポジティブに捉えている専門家はほとんどいない。
イランが求める10項目、アメリカが求める15項目の終戦条件があまりにも正反対だからだ。
よって2週間後、もしくはもっと前にアメリカ・イスラエルがイランに攻撃をする可能性も残念ながらまだ十分に残っている。
イラン側の気持ち(推測)
最後の最後に、イラン側の気持ちも少し推測してみよう。
そもそもイラン側は、トランプ大統領の『気まぐれ』とネタニヤフ首相の『野望』によって一方的に攻撃をされた側である。

しかも、この攻撃により最高指導者のハメネイ師が殺害されているのである。
普通に考えても、生半可な条件では終戦などできようはずがない。
専門家によると、イラン側は交渉を急ぐ必要は全くないと言われており、わたしも素人ながらに同感だ。
ガソリン価格が急上昇して支持率に不安が募り早く終戦したいトランプ大統領、そんな事情イランにとってはどうでもいい。
なので「交渉ではイラン側の方が圧倒的に有利」だとわたしは思っている。

いやむしろ、ホルムズ海峡封鎖による原油価格高騰策が効いてるのなら、アメリカがなんと言おうと11月まで海峡封鎖を続け、トランプ大統領をイジメ抜いた方が最終的により良い条件で終戦できるかもしれない。
ただ、ここからが問題である。
あのTACO大統領、マジで追い詰めすぎるとなにをするかわからない。
マジで核爆弾で首都テヘランを荒野にしてしまう可能性も、アイツならあり得ないとは言えない。

アメリカでは大統領の一存で全ての軍事作戦が決行されるからだ。
イランが提出した10項目の停戦内容は公式には発表されていないが、
- イラン国内の被害に対する賠償金
- ホルムズ海峡の主権行使
- イランの核保有の容認
- 経済制裁の解除
- 全イラン側勢力への攻撃停止
などが含まれている(らしい)。
これは停戦条件というよりは、イランの勝利条件である。
もちろんイラン側もこれらの条件全てが通るとは微塵も思っていないと思うが、なにしろ(時間的に)余裕があるのはイランであり、トランプ大統領がお得意のTACO戦法で、

「これは撤退ではない。アメリカ史上最大の戦略的勝利だ。」
とか
「我々は歴史上、最も完璧な撤退を成し遂げた。信じられないほど美しい撤退だ。」
とか言って、適当に妥協して撤退する可能性もある。
2026年4月13日現在、この戦争がどこへ向かうのか、今後の動向が気になって仕方ない。
おわりに

こうして2026年4月3日現在、「そろそろ終わりかな?」と思わせては裏切る展開を繰り返しながら、イラン戦争はむしろ一段と深い混乱へと沈み込んでいる。
結末はまだ霧の中で、誰もが地図を持たずに進んでいるような状態だ。
ここまで見てきた通り、この戦争は単純な勝ち負けではなく、「どこで手を打つか」という我慢比べの様相を強めている。各国それぞれに事情があり、思惑があり、そしてなかなか引けない理由がある。
- アメリカは、原油価格の高騰で国内の空気がじわじわ重くなる前に、できればスマートに幕を引きたいところ。
- イスラエルは、「まだ足りない」と言わんばかりに、これからもイランの軍事力を徹底的に削ぎたい構え。
- イランは、ホルムズ海峡という“切り札”をちらつかせながら、少しでも有利な条件で終わらせるタイミングを探っている。
- ヒズボラやハマス、フーシ派といった勢力は、「ここで引く理由はない」とばかりに、さらなる反撃の機会をうかがっている。
――誰もが「そろそろ終わりたい」と思いつつ、同時に「このままでは終われない」と感じている。そんな、なんとも厄介で人間らしい均衡の上に、この戦争は成り立っているのかもしれない。
さて、この綱引きはどこで糸が切れるのか。それとも、どこかで全員がそっと手を離すのか。
いずれにせよ、まだしばらくは目が離せそうにない。
おしまい。







