RYOです
今回は神聖ローマ帝国初代皇帝のオットー一世が行った「帝国教会政策」を簡単に説明しようと思います。
オットー一世とは
(出典:ウィキペディア)
オットー一世とは、現在のドイツ地域を支配していた東フランク王国の2代目国王でローマ教会の戴冠を受けて神聖ローマ帝国の皇帝になった人物です。
様々なゲルマン人国家が乱立していた西ヨーロッパを西暦800年に統一したフランク王国は、870年に以下のように分裂しました↓
このうち、ピンク色の「東フランク王国」を統治したのがオットー一世です。
この東フランク王国は現在のドイツの基みたいなもんです。
※ちなみに西フランク王国は現在のフランスの基で、中部フランク王国は現在のイタリアの基みたいなもんです。
もっと詳しく知りたい方はこちらをどうぞ↓(別タブで開きます)
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東フランク王国とキリスト教
東フランク王国の国王オットー一世は、国内にいる有力諸侯の力を抑えるために、キリスト教の力を利用しました。
この当時、キリスト教はヨーロッパ全土に広がった宗教ではありながらも、それ自体は軍隊を持たないのでどこかの大国に保護を頼まなければなりませんでした。
大国からすれば『キリスト教の保護者』になれば国民をまとめるうえで都合がよく、
キリスト教会からしても『大国の被保護者』になればキリスト教を守るうえで都合がよかったのです。
という事で、軍事的に優れた東フランク王国のオットー一世とキリスト教会が手を結びました。
政教分離の原則を破った「帝国教会政策」
まず当時の東フランク王国内には自立性の強い諸部族が多数存在しており、オットー一世はどうしたら王国を上手く治めることができるかを考えていました。
武力で抑えつけるわけにもいかない・・・
そんな時にキリスト教会を利用することを思い付きました。
まず自分の一族や身近な関係者たちを聖職者として教会に配置し、彼らを大司教や司教などの尊い地位に任命したのです。
おまえら聖職者は俺の言う通りにしろよ( ̄д ̄)
聖職者は結婚できないので世襲を防ぐこともでき、なおかつ彼らを国家行政の要職に就けて領土内全体を効率的に政府が管理できるようになりました。
つまり、この政策は「教会を管理する聖職者を政府が選ぶ」というとんでもないものなんです↓
『国民はみんなキリスト教であり、反政府的な考えを持っている部族の人間も教会が親政府的ならその教えに従う』みたいな感じを利用したんですね。
でもこれって「政教分離の原則」の真逆で宗教と政治のコラボ企画みたいなってますよね。これを「帝国教会政策」と呼びます。
当然ですが、政府が聖職者を任命するのはおかしい!!!と、「カノッサの屈辱」のように後々色んな問題を起こします。
以下参照↓(別タブで開きます)
今回ご紹介するテーマは「カノッサの屈辱」です。なんかカッコイイ名前ですが、これは筆者結局さ~、キリスト教徒のトップ『教皇』と、神聖ローマ帝国のトップ『皇帝』、どっちの方が偉いの?という疑問に答えを[…]
※オットー一世が帝国教会政策を行った背景には「ローマ教皇の堕落」といわれる聖職者の様々な不祥事が頻発し、それを一掃しようとしたという理由もあったとのこと。
おわりに
という事で、今回は「帝国教会政策」について簡単に説明しました。
政府が都合の良い人間を聖職者として教会に送り込む
これだけ聞くと、恐ろしい政策だとは思います。
しかし当時は聖職者もかなり汚いことをやっていたりと「エセ聖職者」も多かったと言われるので一概に帝国教会政策が悪いとは言えない気もしますね。