今回はベトナム戦争についてご説明しようと思います。
漫画ゴルゴ13でもよく出てくるワードの一つ、あのベトナム戦争です。
当事者でもない無関係のアメリカが出しゃばってベトナムに入って戦争を起こし、結果ベトナム人ゲリラにボコボコにやられたというお話です。
また「あれ?人の名前だっけ?都市の名前だっけ?」でお馴染みのあのホーチミンも出てきますので、是非お気軽に読み進めてください!
ベトナムの位置
まずはベトナムの位置を確認しましょう↓
↑ベトナムはインドと中国の間にある半島(インドシナ半島)に位置し、割と日本と近いですね。
ベトナムの支配の歴史
まずはベトナム戦争に入るまでのお話を超簡単に確認しておきます。
なぜなら筆者は、ベトナムの大まかな歴史をザックリ理解してからベトナム戦争の話に入った方が理解度がより深まると思っているからです。
実は我らが日本も、一時ベトナムを支配していたのです(´・ω・`)
中国による支配
ベトナムは1,000年以上もの間、中国の属国として支配されていました。
漫画キングダムの主役の一人としても有名な秦の始皇帝(=政)以来のことです。

しかし11世紀初めに宗主国中国との友好関係は維持しながらもベトナムとして自立しました。
このベトナム最初の長期王朝となったのが、西暦1009年に成立した李王朝でした。
しかしその後もモンゴル帝国のフビライ=ハンに攻め込まれたり、明(みん)に支配されたり、再び明から独立を取り戻したりと大混乱でした。
この頃のベトナムは明を倣って科挙の整備や国内政治を進めました。
国家がまとまならかった原因は中国だけでなく、南北に細長いベトナム国内での内乱が多く、長い間なかなか国が一つにまとまりませんでした。

あれぇ?
せっかく自立したのになかなか一致団結できひんやん(゜.゜)
結局1802年に、フランスの援助を受けて力を蓄えていた阮福映(グェン=フック=アイン)が中国(当時の清)を宗主国とするのを条件にベトナムの統治を認められ、やっとこさベトナムが1つの国家として統一されました。
また、「ベトナム」という国号もこの時正式に決定されました。
フランスによる支配
やっと国家を一つにまとめれた阮(グェン)でしたが、力を貸してくれていたフランスの意向に反してキリスト教禁止を行い宣教師を処刑。
それにぶちギレたフランスのナポレオン3世が1855年にベトナムに出兵。

超大国フランスを怒らしたらダメでしょ~
ベトナムはこの激しい戦い(フランス=ベトナム戦争)に敗れ、ベトナム南部がフランスの直轄領となりました。
その後、ベトナム南部だけでなく中部と北部も支配しようとしたフランスに対して宗主国中国(当時は清)が抗議し、1884年に清仏戦争が起きました。

おいおいフランスさんよ~
誰の支配国に手出してんだ?あぁ?
結局この戦いで清は破れてベトナムへの宗主権を放棄し、ベトナムはフランスの植民地になってしまいました。
これを仏領インドシナ連邦と呼びます↓
ベトナムだけでなく、カンボジアやラオス地域まで仏領として勢力を拡大していたことがポイントです。
仏領インドシナ連邦内のベトナムでも徐々にフランスに対し不満が溜まり独立を求める機運が高まります。
アジアの小国でありながら日露戦争で奇跡的に勝利した日本に倣おうと、1905年にベトナムは日本とも積極的に交流を始めます。
しかし!!
1907年に日仏協約でお互いの植民地支配(統治?)を認め合ったので日本がベトナム国民の反フランス運動を支援することはありませんでした。
日本→朝鮮半島の支配を認めて欲しい
フランス→ベトナムの支配を認めて欲しい
その後幾度も独立運動を弾圧したフランスでしたが、ベトナムにある人物が現れベトナムの歴史は大きく動きます。
それが、フランスで苦学しながらマルクス主義を学んだ社会主義学者ホー=チ=ミンでした。
(出典:Ho Chi Minh in Newhaven: From pastry chef in East Sussex to patriotic leader of Vietnam)
日本による支配
その後ホー=チ=ミンは民族独立運動を指導するようになり、1930年にベトナム共産党を結成(まもなくインドシナ共産党と改称)しました。
1940年9月、本国フランスがドイツ軍に占領されたことを受け、ドイツの同盟国の日本は(ドイツを応援する意味でも)北部ベトナムに進駐し、さらに41年7月に南部ベトナムを占領して植民地支配を始めました。

ドイツを応援する意味でも?
そんな理由で戦争すな!!!
日本軍は1941年7月、ベトナム全土を支配権に収めました。
日本軍支配下の1944~1945年には、ベトナム北部で
㋐日本軍が大量にコメを買い上げたこと
㋑干ばつが重なったこと
で大規模な食糧不足が起こり、200万人近くの餓死者が出たと言われています。
この200万人という数については異論もありますが、ホー=チ=ミンがベトナムの独立宣言で触れたことからベトナムでは定説となっており、ベトナム人は現在でも日本人に対する微妙な感情が残っているらしいです(´・ω・`)
ベトナム民主共和国とインドシナ戦争
日本が第二次世界大戦で敗れた直後に、ベトナム人社会主義者ホーチミンが「ベトナム民主共和国」の独立宣言を行いました。

しかし、そう簡単に独立できたわけではありません。
第二次世界大戦戦勝国のフランスが再び帰ってきたのです。

わりーわりー。
俺らさー、一時的にベトナムから撤退してただけなんだよね。
これからも俺らの植民地としてやってくよな?
とベトナムに舞い戻ってきたのです↓
これに反抗し、ベトナムとフランス軍の間でインドシナ戦争が起きました。
中国成立とアメリカ参戦
そんな中、第二次世界大戦も終わり、1949年には社会主義国家「中華人民共和国」が成立しました。

よっしゃーー
新しい国でけたーーー
この中国成立に触発されてアジアが共産主義化するのを恐れたアメリカがインドシナ戦争でベトナムと戦っているフランス軍を応援し、
共産主義を広めたい中国・ソ連がベトナム側を応援するという、
大国同士の代理戦争という形になりました↓
フランス軍降伏とジュネーブ協定 1954年
こうして、大国同士の代理戦争になったのですが、
ディエンビエンフーの戦いでベトナム人ゲリラがまさかのアメリカの武器援助を受けていたフランス軍を破ってフランス兵10,000人を捕虜にしてフランスを完全降伏させました。

は!!?
軍事力ではるかに勝る俺らが、田舎のベトナム人ゲリラに敗けるなんて
これによりジュネーブ休戦協定が結ばれ北緯17度を軍事境界線としてインドシナ戦争の休戦が成立しました↓
もちろん、北側が社会主義国側で南側が資本主義国側です↓
北側はホー=チ=ミンを指導者とした社会主義体制、
南側はアメリカに支持された親米派のゴ=ディン=ジェムを指導者とした自由主義体制になりました。
北側はソ連や中国が支持するベトナム民主共和国(北ベトナム)、南側はアメリカが支持するベトナム共和国(南ベトナム)が成立しました。
上の説明をまとめたものがこちらです↓
北ベトナム | 南ベトナム | |
正式名称 | ベトナム民主共和国 | ベトナム共和国 |
首都 | ハノイ | サイゴン |
指導者 | ホー=チ=ミン | ゴ=ディン=ジェム (実質はアメリカ支配) |
支持者 | (ソ連/中国) | アメリカ |
ここまでの流れ、かなりザックリですが理解できましたでしょうか?
↑一言でまとめました(笑)
ということでお待たせしました。
では次ページからベトナム戦争についてご紹介していきます(・ω・)ノ
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