ベルリンの壁は、東ドイツの中の西ベルリンを分ける壁!
様々な世界情勢を勉強しながら楽しめるゴルゴ13ですが、ナチスドイツや東西ドイツ時代の話もかなり多く紹介されます。
その中で漠然と認識していたベルリンの壁が東ドイツと西ドイツを分ける壁では無かったという驚きの事実を知りました。

確かに東ドイツと西ドイツを分ける壁という事は、ドイツをほぼ南北に分ける壁。
つまり(google mapで測ったところ)およそ1,000kmに渡って壁を築いたことになります。
うわー凄い距離壁造ったんやなーと思ってましたが、やはり違いました。
こちらの画像↓をご覧ください。
画像左側の青い領域が西ドイツ、画像右側の赤い領域が東ドイツを示しています。
ぼくは当初、漠然とベルリンの壁はこの東ドイツと西ドイツを分ける国境線上にあると思ってました。
しかし、その名の通りベルリンの壁はベルリンにありました。
ベルリンの壁
1961~1989年まで西ベルリンを囲い、東ベルリン及び東ドイツ地域との交流を遮断した壁。
と言うのもドイツが東西に分裂したのち、250万人の貧しい東ドイツ市民が活気のある豊かな西ドイツに逃げ込んだ。
とりわけ熟練労働者や専門職、知識人たちの脱出が目立ち東ドイツ経済の命運を脅かす事態となったので、突然何の報告もなく東ドイツは全長165キロの壁を構築し完全に西ベルリンを分断した。
これにより東ドイツと西ドイツ間の直接的な交流は完全に無くなった。
なので東ベルリン市民と西ベルリン市民がお互い憎み合っていたわけでは無いのです。
ドイツという国は東側と西側に分けられました。
それと同じでベルリンという町もまた東側と西側に分けられていたのです。
つまりベルリンの壁は
と言えます。
西ベルリンは東ドイツの中に浮かぶ小島のような存在ですが、東西ドイツの国境が封鎖された1952年以降東ドイツから直接西ドイツへ渡ることは不可能になったので、経済発展著しい西ドイツに逃げるには西ベルリンに入ってから飛行機で西ドイツに飛ぶしか方法が無かったんですね。
なので西ベルリンをぐるっと壁で取り囲み、東ドイツ市民を西ベルリンに逃げ込ませない事が東ドイツ側にとっていかに重要なことだったかがわかります。

なのでベルリンの壁を見に行きたければ、ベルリンを訪れてください。
東西ドイツの国境線上に行ってもベルリンの壁を見ることはできません。
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