さて、本記事ではユダヤ人の聖書(=物語)である「旧約聖書」の続き、新約聖書についてなるべくわかりやすく解説してみました。
新約聖書は旧約聖書の続編として書かれているので、先に旧約聖書の内容をチラ見したい方はこちらからご覧ください↓
さて、本記事ではユダヤ人の聖書(=物語)である旧約聖書をなるべくわかりやすく解説してみました。大まかなお話は以下の記事で既に言及していますので、興味があればこちらからご覧ください↓[sitecard subtitle[…]
では始めます(”◇”)ゞ
新約聖書編では趣向を変えて漫画風のイラストで進めていこうと思います。
どうぞお楽しみください!
"迫害の急先鋒"だった使徒パウロはなぜ回心したのか?
さて、前回の記事では処刑されたのに三日後に復活し存在感をアピールするイエスと、弟子たちの悲劇的な死をご紹介しました。
新約聖書27巻のうち、13巻は「パウロの書簡」と呼ばれる文書が占めています。
パウロは、イエスをユダヤ民族の救い主から人類の救い主へ、つまりキリスト教を民族宗教から世界宗教へと発展させた伝道者で、紀元47年頃から3回にわたり大規模な伝道の旅に出ています。
伝道の旅に出るパウロ
「パウロの書簡」はこの道中に信徒や教会に宛てて送ったもので、福音書よりも早い時期に書かれました。
そのため、キリスト教の神髄を世に伝えるものとして、現在も新約聖書の中で重要な位置を占めています。
さて、パウロはもともとファリサイ派の敬虔なユダヤ教徒でした。
(ユダヤ教ファリサイ派の人間)
若いうちからエルサレムに下り、律法学者の下で学んでいたほどです。
そんな彼にとって、イエスの教えは、ユダヤの律法を軽んじるもの以外の何ものでもありませんでした。
また、イエスが自らを救世主だと称したことも、我慢がなりませんでした。
パウロはイエスの死後もキリスト教の教会を襲い、信者を捕えては男女を問わず牢獄に送り込んでいました。
隠れクリスチャンを投獄するイケイケのパウロ
キリスト教最初の殉教者・ステファノの死の場面にも立ち会ったという。
とにかく弾圧の姿勢は徹底していて、キリスト教からは迫害者として恐れられ、疎まれていました。
「くそぉ、パウロの野郎!!!!」
キリスト教徒から激しく憎まれるパウロ
「目から鱗が落ちる」は、ここから生まれた!
そんなパウロが、ある日を境にキリスト教徒に生まれ変わりました。
ある日パウロ(回心前はサウロというヘブライ名を名乗っていた)は、ダマスコ(=現ダマスカス=シリアの首都)にいるキリスト教を捕えようと、エルサレムを発ちました。
現在の地図で言うとこちら↓
歩いて63時間の距離です。
まあ馬なのでもう少し早いと思いますが、それでも時速30km/hで9時間かかります。
休憩含めると、早朝に出発して夜くらいに着くくらいの距離です、余談ですが。
しかしその道中、突然、天から目のくらむような強烈な光に襲われたのです。
落馬し、呆然とするサウロ。
するとその耳に、
「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」
という声が響いてきたのです。
と、問うサウロに、声は優しく答えました。
「私はあなたが迫害しているイエスである。起きて町に入りなさい。すると自分のなすべきことが知らされるでしょう」
それ以来、サウロは視力を失ってしまい、飲まず食わずで過ごすはめになってしまいました。
目も見えず、飲まず食わずでクタクタのサウロ(後のパウロ)
そして3日後(←思ったより時間かかってた(;゚Д゚))、ようやくダマスコにたどり着いたサウロの前に、アナニアという男が現れました。
というのも、その前日、アナニアの夢にイエスが現れました。
そして、
「サウロを助けなさい。彼は、私の名を伝え広めるために私が選んだ器だ」
と告げます。
サウロが迫害者だと知っていたアナニアは拒否しようとしますが、イエスのお告げに従い、サウロのために祈りました。
するとサウロの目から鱗のようなものが落ち、再び光を取り戻したのです。
「目が見える。復活したぜ…」
めっちゃ男前なサウロが生成されたww
彼は即座に洗礼を受け、キリスト教に改宗しました。
ちなみにこのエピソードが、ことわざ「目から鱗が落ちる」の語源です。
目から鱗が落ちる
何かのきっかけで思いもしなかった新しい発想を得て驚く、または感心するような心境を表す言葉。
何かがきっかけになって、急に物事の実態などがよく見え、理解できるようになるたとえ。
キリスト教はなぜ「世界宗教」へと発展したのか
このパウロの回心は、ユダヤ教徒にはもちろん、キリスト教徒にも非難を持って迎え入れられました。
なかなか受け入れてもらえないパウロ
孤高のスタートではありますが、彼は3度にわたって長い伝道旅行を実施。
その移動距離は、地球半周に相当する約2万キロにも及ぶほどで、そこで多くの信者を獲得しています。
彼が「キリスト教発展の礎」と呼ばれる所以です。
また彼は、改宗してから死ぬまでの30年間に、ローマ帝国領で約30の都市に教会を設立したとされています。
彼はベニヤミン族の出身で、「ユダヤ人の中のユダヤ人」でしたが、生まれながらにしてローマ市民権を持っていました。
当時、広大な領地を所有していたローマを自由に旅行できる立場は、布教活動に大きなメリットを与えました。
パウロは信徒を増やすだけでなく、「キリスト教のアイデンティティの確立」にも尽力しました。
パウロらが布教をする中で、キリスト教は増え始めました。
パウロを信仰し始める人々
中にはユダヤ人以外の人々も多くいました。
そこで問題になったのは、彼らはユダヤ教とキリスト教を別のものとして受け入れていたことです。
異邦人の彼らにとって重要なのは、ユダヤの律法ではなく救世主・イエスの教えだったのです。
とはいえ、キリスト教はもともとユダヤ教から派生したもの。
エルサレムにいる信者をはじめ、律法に縛られて生活を送る信者はたくさんいました。
そして、彼らは異邦人にもユダヤの律法の遵守を要求しました。
そこで、パウロはエルサレムで「エルサレム使徒会議」に出席。
エルサレム使徒会議は、初期のキリスト教の歴史の中でも非常に重要な出来事の一つです。
この会議では、キリスト教に入る人たちが「ユダヤ教の慣習を守る必要があるのか、それとも無いのか」という問題について話し合われました。
前述したように、当時のキリスト教はユダヤ人だけでなく他の宗派の人々も信者になっていましたが、彼らがユダヤ教の慣習を守らなかったことが問題になっていました。
豚肉を食べる異教徒
たとえば割礼(=包茎手術)や食事の規則(豚肉、血液、イカ、タコ、エビ)などです。
そこで、使徒たちはエルサレムで会議を開いて、この問題を解決しようとしました。
その結果、彼らはユダヤ教の慣習を守らなくてもキリスト教に入る人たちを受け入れることを決めたのです。
なぜなら、彼らはイエス・キリストを信じることが大事であり、ユダヤ教の慣習を守ることが重要ではないと思ったからです。
この決定によって、キリスト教はユダヤ教から独立し、世界中のさまざまな人々に広がっていくことができたんだ。
エルサレム使徒会議は、キリスト教の成長にとってとても大切な出来事だったんだ。
このエルサレム使徒会議により、さらにキリスト教は世界宗教へと発展することになるのです。
しかし、そのために多くの敵を作り、命を狙われることになります。
幽閉生活を送りながらも精力的に活動しましたが、結局、殉教しました。
彼を死に追いやったのは、暴君として名高い皇帝ネロだったと言われています。
以上!
おわりに
さて、こうして全9回の新約聖書編が終わりました。
マリアの懐妊からパウロの殉教まで、長かったです(笑)
旧約聖書編を読んでいない方はそちらも是非ご覧ください(;^ω^)
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