「カノッサの屈辱」って知ってる?

この記事を読むのにかかる時間: 3

今回ご紹介するテーマは「カノッサの屈辱」です。

なんかカッコイイ名前ですが、これは

ヨーロッパ ブログ
筆者
結局さ~、キリスト教徒のトップ『教皇』と、神聖ローマ帝国のトップ『皇帝』、どっちの方が偉いの?

という疑問に答えを出した一大事件と言えます。

では見てみましょう。

カノッサの屈辱(ローマ教皇最強説)

カノッサの屈辱

11世紀くらいにヨーロッパのキリスト教圏である勢力争いが起こりました。

それが、

国のトップ"皇帝"と宗教のトップ"教皇"、一体どちらが偉いのか!?

という争いでした。

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筆者
確かに気になります。

この時代、ヨーロッパはキリスト教一色でしたが、同時に東フランク王国から発展した(現在のドイツ連邦共和国の元となる)神聖ローマ帝国の皇帝もいたわけです。

この時代の状況を超ざっくり言うとこうです↓

キリスト教はただの宗教で軍事力を持たないので、神聖ローマ帝国を軍事的な守護者として頼っていた。

神聖ローマ帝国はキリスト教の守護者という権威や名誉に助けられて、ここまで大きくなった。

↑の意味わかりますか?

お互いがお互いを必要としていたのに、「結局はどっちがエライのか」で争いになってしまったんです↓

この当時、

キリスト教のトップ(教皇)

→この当時、キリスト教は既にとんでもない勢力になっていたので、キリスト教のトップというだけで物凄い権力をもっていた。

帝国のトップ(皇帝)

→やはり帝国のトップなのでこれまた物凄い権力をもっていた。

しつこいですが、必然的に「皇帝と教皇のどちらが偉いのか」という覇権争いが起きました。

また当時のヨーロッパでは、

政府が都合の良い人間を聖職者として任命し教会に送り込む

ということが普通に行われていました。

もう一回読んで下さい、サラッとかなりヤバいことを書きました(笑)

これを帝国教会政策(ていこくきょうかいせいさく)と呼びます。

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筆者
え、聖職者って政府が勝手に決めれるもんなのか?

(↑まあこれは正しい意見(笑))

神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ四世はローマ教皇グレゴリウス七世に、政治と宗教を切り離す(政教分離の原則)ように進言されたのに怒り、グレゴリウス七世に教皇の廃位を迫りました↓

とてもきな臭い雰囲気になってきましたね。

皇帝 VS 教皇

以下はイメージです↓

頭の中で想像を膨らましてお楽しみください!


 

教皇
宗教関係者の任命権を政治家が握るのはおかしい!
信仰心のない人間ばかりが天下りして教会に溢れかえっている。
聖職者とはそういう人間がなるべきではない!!!
皇帝
(ふふふ 皇帝は教皇の上にいるのだよ、きみぃ)
は?聞こえませーん(笑)
てかお前さ、そろそろ教皇の地位から降りろよ
教皇
何をバカなことを・・・お、お前は破門だ!
当然、皇帝もキリスト教徒
皇帝
ふ、勝手にしやがれ
キリスト教徒を破門された途端、統制力を失い各地の有力者たちが暴動/反乱を起こし始めた。
皇帝
むむ、思ったよりも破門の影響は大きい。
教皇に破門を解いてもらうしか…でもそれではプライドが…
結局、厳冬期のアルプスを超えて、教皇が滞在するカノッサ城まで出向いて面会を求めた皇帝。しかし返事なし。
教皇
お、これは我が国の最高指導者の皇帝様ではないですか。何か用でしょうか?
あなたはもうキリスト教徒では無いのですよ?
既にどこかに改宗されましたか?(笑)
皇帝
すみません、すみません、すみません。すみませんすみませんすみません、もう許してください(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
そして皇帝は3日間、カノッサ城の前で雪が降る中薄い修道衣と素足で立ち尽くして謝罪し、ようやく破門を解いてもらった。
皇帝
破門を解いて頂きありがとうございます(クッソ
教皇
ん、何か言いましたか?
皇帝
い、いえ・・・この度は破門を解いて頂き誠に…
(いづが、ふぐしゅうじてやるぅぅ)

 


という事で、この一連の出来事を「カノッサの屈辱」と言います。

神聖ローマ帝国の皇帝がローマ・カトリック教会の教皇に平れ伏しました。

皇帝と教皇間の争いは幾度もありますが、基本的にカノッサの屈辱から十字軍遠征の終わりごろにローマ教皇が逮捕されるまでは教皇 ≫ 皇帝という勢力図になりましたとさ。

カノッサの屈辱

後日談ですが、ハインリッヒ四世(皇帝)は破門撤回から4年後、大軍を率いてローマに遠征&占領し、対立教皇の手によって神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式を挙行しました。

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筆者
教皇を武力で脅して「私に戴冠せよ」と命令したということですね。

ところがその後、ハインリッヒ四世は2人の息子に裏切られ、次男(後のハインリッヒ五世)の手で捕らえられて王座から追われましたとさ。

おしまい。

おわりに

という事で、カノッサの屈辱についてご理解頂けたでしょうか?

キューバ 歴史
筆者
せっかく『カノッサの屈辱』について勉強されたのですから、このままフランク王国の勉強もしてみましょう!

フランク王国は現在の西ヨーロッパの地図の基礎を作った王国で、ヨーロッパに行く前の必須知識だと思いますよ(^ω^)

興味があれば是非↓

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