フルシチョフ、対米には平和主義?
フルシチョフは基本的に平和路線を模索した指導者として知られています。
そのいくつかを紹介しましょう。
戦後のスターリン時代を転換した
スターリンの後に指導者となったフルシチョフの最大の功績は、スターリンが行った独裁を引き継がなかったことと言われています。
それまでの恐怖政治とは打って変わって、フルシチョフの時代では割とソ連領内の雰囲気も柔らかくなり、それまでのスターリンが作っていた恐怖政治の流れを変えました!
ソ連首相として初めて渡米した
「飛行機なんて久しぶりじゃのぉ」
スターリンが主導していた東西冷戦のさなかに、フルシチョフは1959年にソ連内部の対米強硬派を抑え、ソ連指導者として初めて渡米しアイゼンハワー大統領と会談しました。
ソ連領内「おいフル!!てめぇやけにアメリカにあめーじゃねーかよ。敵国なんだからぶっ潰す気でいけよ」
フルシチョフ「まあまあ、相手も人間だ。とりあえず対話の姿勢でまずは相手の出方を見ようじゃないか」
キューバ危機の際に妥協
(出典:「核戦争」寸前だったキューバ危機 なぜ世界は破滅を回避できたのか?)
キューバ危機とは、東西冷戦のさなかに米ソの核戦争の緊張が最高に高まった出来事のことです。
カストロがキューバ革命によってキューバの指導者になり、かなり強引な政策を行ってそれまで仲の良かったアメリカに国交断絶されました。
※キューバとアメリカは約150kmほどしか離れていない(めちゃくちゃ近い国どうし)
強引な政策なんて人聞きが悪い…
単にアメリカ所有の農地や銀行、工場、企業とかを勝手に国有化しただけやん(笑)
そうです、アメリカを激怒させてしまいました(笑)
アメリカに国交断絶されて物資不足で困っていたので、キューバはそれ以降は逆にソ連と仲良くしていました。
ソ連はそんなお友達のキューバ国内にミサイル基地を設置したのです!!!
ミサイルを持つカストロ議長
キューバはアメリカのすぐ南にある島なので、ここにソ連のミサイル基地がある=いつでもアメリカを焼け野原にできるということなのです。
この一報を受け、アメリカでは高額な核シェルターが飛ぶように売れました。
核戦争の危機が最大限高まったキューバ危機において、フルシチョフは交渉の末にキューバからミサイル基地を撤去しました。
いつの時代もなにかといちゃもん付けて他人を蹴落とそうとする輩(=ブレジネフ)、いるよね~
キューバの詳しい話はこちらで解説しています↓(別タブで開きます)
RYOです筆者今回の記事ではキューバに行く前に知っておきたい歴史を簡単にまとめました。なぜなら2019年の4~5月にかけてもう一度キューバに行こうと思ったからです。笑筆者は2018年4~5月にかけ[…]
フルシチョフ、対内には強硬主義?
対外的にはとても軟弱というか弱腰というかとにかく平和路線を貫いたフルシチョフでした。
しかし対内的には厳しいこともかなりやりました。
そうなんです、フルシチョフも実は恐ろしいやつなんです。
フルシチョフは同じ社会主義国に民主化運動を求める暴動があると、これらを厳しく弾圧しました。
フルシチョフーーーー!!!
信じてたのに!!!
ポーランド事件とハンガリー動乱
フルシチョフのスターリン批判を受けて、「粛清」や「農業の集団化」に強い不満を持っていたポーランドとハンガリーの学生/労働者/市民が暴動を起こしました。
結局はスターリン時代の負の遺産なんです。
ポーランドではソ連軍の軍事介入直前で、ポーランド側が妥協点を見つけて和解しましたが、
ハンガリーの暴動はソ連軍の軍事介入(2000台の戦車)で瞬く間に鎮圧され、民主化を主導したナジ・イムレ首相が処刑されました。
これをポーランド事件、ハンガリー事件(=ハンガリー動乱)と呼びます。
ポーランド&ハンガリー「え、英雄だと思っていたスターリンはそんなにヒドイことをしていたのか!!しかもウクライナでは数百万人が餓死していたなんて!さすがにもう無理」
フルシチョフ「ソ連共産党に逆らう者は許さん」
ここで注意したいのは、ポーランドもハンガリーもソ連の構成国ではなく同盟国という事です。
ソ連の構成国ではなく、あくまでソ連の同盟国なんです!!
先ほど紹介したソ連構成国の15カ国に、ポーランドもハンガリーも属していません。
とは言え、ポーランドもハンガリーも第二次世界大戦後にソ連によって占領され、そのままソ連共産党の後押しを受けて成立した社会主義政党が国を動かしていたのです。
完全に「カラスって白いよなぁ?」現象です(´;ω;`)
ナルシスト、ブレジネフ登場(1964~1982)
(出典:アンサイクロペディア)
フルシチョフの弱腰外交が批判の的になり一方的に解任され、次にソ連共産党の指導者になったのが極太眉毛野郎のレオニド・ブレジネフです。
フルシチョフに見出されたブレジネフですが、そのフルシチョフを蹴落として指導者になりました。
このブレジネフがまーポンコツで、これからソ連は冬の時代を迎え経済などが長期停滞に入ります。
なぜナルシストなのか?
これ、筆者的にはめっちゃ面白いんですけど、
↑このブレジネフ、めちゃくちゃ勲章を胸に付けてますよね↑?
と思いますが、この勲章は誰から授与されたと思いますか?
ソ連共産党の指導者に勲章を授けられるくらい偉い人、はい、それはソ連共産党の指導者しかいません(笑)
すみません言葉が過ぎました、ブレジネフ一族に心から謝罪致します。
緊張緩和(=デタント)を敢行
緊張緩和(=デタント)とは、東西冷戦が一瞬ふわっと穏やかになった時期を指します。
1970年代、アメリカもソ連もベトナム戦争期に軍備拡張を進め過ぎたため、経済が圧迫されて停滞気味に、なので逆に「これはお互い損するだけやな」と対立解消の流れになりました。
チェコ事件とプラハの春
ブレジネフも対米的にはフルシチョフと同様に平和路線でしたが、社会主義/共産主義国に対する締め付けはとても厳しかったようです。
現在はチェコ共和国とスロバキア共和国として分かれていますが、1948年以来この二国は「チェコスロバキア社会主義共和国」として一国でした。
もちろん共産党政権が実権を握っていたので、ソ連の言いなりでした↓
しかし1968年春、チェコスロヴァキア共産党は「民主主義を否定する社会主義」に疑問を感じ改革に乗り出し、民主化運動を始めました。
チェコスロヴァキアの首都プラハではまさに百花斉放状態!
様々な人々が自由に創作し、自由に批評し合える社会を目指しました!
首都プラハでは西側の文化ミニスカートまで流行り出してまさにプラハは自由化の爆発状態でした。
ミニスカートまで流行りだしたプラハ
とうとう東側陣営のプラハにも春(民主化の流れ)が訪れたのです。
しかしそこにもブレジネフ先生の目が光っていました。
「ふん。なにが民主化だ、くだらん。」
ブレジネフはこの民主化運動を軍事弾圧し、市民の抗議を踏み越えてプラハの中心部を制圧しました。
これにて「プラハの春」終了、これを「チェコ事件」と呼びます。
この時、弾圧に乗り込んだのがあのWTO(ワルシャワ条約機構)でした↓
今回は「NATO」と「ワルシャワ条約機構」についてです。「ナトー」とか聞くとなんとなく軍事同盟っぽいイメージを持つのは筆者だけでしょうか?最近ではウクライナの国是であるNATO加盟を巡って、ロシアが過去に例をみない規[…]
新冷戦スタート
ブレジネフの功績(←皮肉)としてもう一つ挙げられるのが「新冷戦のスタート」です。
緊張緩和によって米ソの東西冷戦が治まりかけていた中、1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻しました。
これにより、米ソが元の緊張関係に戻ってしまいました。
これを「新冷戦」と呼びます
ソ連のアフガニスタン侵攻
1979年、ソ連のブレジネフ政権がアフガニスタンの親ソ政権を支援し、社会主義政権の維持とイスラム原理主義ゲリラを抑えるためにアフガニスタンに侵攻しました。
短期的な介入の予定が、結局10年間にも渡る泥沼の戦いを強いられることになり、経済が停滞していたソ連にとっては大打撃。
ブレジネフ死去、後継者は?
そしてとうとうナルシスト王ブレジネフ様がお亡くなりになりました。
次の後継者はアンドロポフ様です↓
(出典:The americans Wiki – Fandom)
しかしすぐに死去。
そこで次の後継者がチェルネンコ様です↓
(出典;Twitter)
しかし彼もすぐに死去し、次に登場するのがあの人です!!
ソ連の最後の指導者、ゴルバチョフ登場 (1985~1991)
(出典:アメブロ)
ゴルバチョフ、本名「ミハイル・ゴルバチョフ」
ゴルバチョフは考えました。
と。
そして➀グラスノスチ(情報公開)と➁ペレストロイカ(改革)を掲げて社会主義計画経済を修正しました。
ペレストロイカ(改革)
ゴルバチョフはソ連の改革を目指しており様々な政策を掲げました。
グラスノスチ(情報公開)
グラスノスチとはロシア語で「情報公開」という意味。
ブレジネフ時代、マスメディアは報道の自由が無くソ連共産党に認められた内容しか報道できませんでした。
それをゴルバチョフが改革しました。
その内容は、当時から考えると驚くべきものでした。
みんなに報道の自由を与えよう!
また、原則として今まで機密事項とされていた軍事関係を含めた国家情報を公開する!!!
なんと、マスメディアには報道の自由が与えられ、国家の機密事項も公開すると宣言したのです。
グラスノスチ
素晴らしいです(笑)
しかし、チェルノブイリ原発事故には間に合わなかったのです(´・ω・`)
チェルノブイリ原発事故が起きた際にはまだグラスノスチが徹底的に染み込んでおらず、最後まで原子炉の事故を隠していたのでした(´;ω;`)
チェルノブイリ原発事故
そうです、チェルノブイリ原発事故には間に合いませんでした・・・。
ゴルバチョフが指導者になってからおよそ一年後、ソ連領内でチェルノブイリ原子力発電所の事故が起きました。
チェルノブイリ原発事故の概要はこちら↓(別タブで開きます)
今回はヨーロッパのウクライナやベラルーシを周るうえで必ず知っておいて欲しい知識、チェルノブイリ原発事故について簡単にまとめました。筆者突然ですが皆さんは「史上最悪規模の原発事故」と聞いて、どの原発事故を思い浮かべ[…]
チェルノブイリ原発事故の際、まだグラスノスチが始まったばかりでゴルバチョフに報告がいかなかったと言われています。
結局、この最悪の事故でグラスノスチが行われなかったせいで多くの罪のない人民の命が奪われ、恐ろしい後遺症を持ち、それが子孫に受け継がれることになりました。
この事故で、情報公開がいかに重要かという事を再認識したゴルバチョフでした。
ゴルバチョフ「なぜすぐに報告しなかった、バカモノ!!」
原発職員「だ、だって。今までずっと秘密主義だったし…」
ゴルバチョフ「ん、なんだ?もっかい言ってみろ!!!!」
原発職員「いきなりグラスノスチとか言われても無理です!!」
ゴルバチョフ「ぐむムムム!!!(こいつら本当にダメだ)」
歴史の見直し
またゴルバチョフは、グラスノスチと同時に歴史の見直しも行いました。
スターリン体制下での粛清の犠牲者やブレジネフ時代に処刑されたり流刑になった人々の記録を掘り起こし、多くの名誉回復を行いました。
いや、この人悪くなかったやん。
ん、この人も。この人もこの人もこの人もや!
スターリンもブレジネフも無茶苦茶過ぎるやろ!!!
大規模な人事異動
いくらゴルバチョフ書記長が
と言っても、なかなか一人だけでは政策を進められません。
そこで大規模な人事異動を敢行し、ゴルバチョフと同様に「ソ連を改革したい」と本気で思っている人間をどんどん採用し、今まで通りの既得権益しか考えていない官僚たちをどんどん役職から外していきました。
いや~既得権益を全力で死守する日本のお役人たちもお払い箱にしたいですね(笑)
新思考外交
またゴルバチョフ政権はブレジネフ政権が残した負の遺産「新冷戦」への平和的な対応も模索し、それまでのソ連の立場を一転して一気に東西冷戦を終わらせました。
中距離核戦力(INF)全廃条約
1987年、アメリカのレーガン大統領とINF(中距離核戦力)全廃条約に合意して、米ソの二大大国が核軍縮を約束しました。
冷戦の終結
1989年、アメリカのブッシュ大統領とヤルタ会談で冷戦終結を宣言しました。
損しかない冷戦なんてくだらん!!!!
やめだやめだ!!!!
東欧革命
1988年、新ベオグラード宣言を発表し東欧諸国の自立/民主化を容認しました。
これにより、翌年の1989年は東欧各国で民主化の嵐が起きました。
民主化?
うん、認めるから勝手にやりたまえ!
ハンガリー/バルト三国/ブルガリア/チェコスロバキア/ルーマニアなどの東欧各国が社会主義を放棄します。
この一連の流れでベルリンの壁も解放されました!!!!
ベルリンの壁に関する概要はこちら↓(別タブで開きます)
さて、今回のテーマは「ベルリンの壁」です。本記事では「ベルリンの壁」とは一体なんだったのかを設立から崩壊まで図解多めでなるべく面白くわかりやすくまとめようと思います。※一応詳しく知りたい方もいると思うので、ある程度小難し[…]
中ソ関係正常化
中国ともずっと仲が悪かったのですが、それもゴルバチョフが訪中して中ソ対立を終結させました。
中国と仲が悪いのも損だ!
仲直りだ、握手!!!!
アフガニスタン撤退によりノーベル平和賞
そしてブレジネフ政権が残した負の遺産「アフガニスタン侵攻」もやめ、1990年にアフガニスタン撤退を決めてノーベル平和賞を受賞しました。
本当に自分勝手な理由で国民を苦しめるだけのアフガニスタン侵攻なんかしやがって、あの極太眉毛野郎
もうソ連はアフガニスタンから撤退する!!!!
ゴルバチョフが監禁され、エリツィンの登場
こんなにスゴイ改革ばかり行ったゴルバチョフでしたが、やはり既得権益の喪失を恐れたクズどもに恨まれたのでした。
ゴルバチョフのペレストロイカ(改革)を受けて「このままではソ連は崩壊する」と考えたソ連共産党幹部たちがクーデターを起こし、休暇で別荘にいたゴルバチョフを監禁しました。
ん、なんだ君たちは!!?
わたしはソ連の最高指導者ゴルバ…ぐはぁ
しかし、そこでクーデター軍を倒してゴルバチョフの後を継いだのがボリス・エリツィンです↓
(出典:ロシア・ビヨンド)
エリツィンはクーデター軍を制圧してゴルバチョフを解放しました。
おまえが仕組んだんじゃないのか?のツッコミは一旦置いておいて
この事件を経てゴルバチョフからエリツィンへと人気が移ってしまい、ゴルバチョフはソ連共産党の解散を宣言し、そのままソ連邦自体も解体してゴルバチョフは表舞台から姿を消しました。
さようなら、ゴルバチョフ!
さようなら、ソ連!
東西ドイツ再統一とNATO
1989年11月9日、首都ベルリンを東西に分けていたベルリンの壁が崩壊し、ドイツ再統一の可能性が真実味を持って語られ始めました。
結局ドイツの再統一は1990年8月31日に以下の六カ国↓
- 東ドイツ
- 西ドイツ
- アメリカ
- イギリス
- フランス
- ソ連
の外相が調印した「最終解決条約」で決まりました。
この条約には、NATO軍は東ドイツ地域に配備されないということが合意され盛り込まれたのでゴルバチョフ書記長が統一を承諾した"らしい"のです。
最終解決条約に署名をするゴルバチョフ書記長
しかし、2022年2月に始まったウクライナ侵攻の張本人ロシアのプーチン大統領が主張する「NATOの東方不拡大の約束」も同時にこの時の最終解決条約の際に約束された、とロシア側は主張しているのです↓
もちろん、
「NATOの東方不拡大」と「NATO軍を東ドイツ地域に配備しない」というのは全くもって違うことですよね。
アメリカ側はそんな約束していないと言うし、ロシア側は「NATOの東方不拡大を約束したからドイツ再統一を承認した」っていう立場なんです。
こちらの記事で詳しく説明されていますが↓
この問題については、(現状では)どちらが歴史的に正しいとは言えないんです。
上の記事から核となる部分を1行だけ引用します↓
論議を一言でまとめるなら、ロシアの言い分に根も葉もないわけではないが、正式な国際条約に書かれていないからその主張は迫力に欠けるということになろうか。
ということなんです。
2022年2月後半から突如始まったロシアのウクライナ侵略が、100%正当性が無いとは言い切れないというのも頭の片隅に置いておいてください。
また、ドイツ連邦共和国大使館のHPに「ドイツ統一までの道のり」という記事があったのでそちらも紹介しときます↓
ベルリンの壁が崩壊した1989年11月9日から再統一に至った1990年10月3日までの出来事を振り返ります。…
独立国家共同体の創設を宣言し、ソ連を解体
エリツィンはソ連から独立しようとした国々に対して独立国家共同体(CIS)を創設することを条件に、1991年12月26日にソ連の消滅を宣言しました。
つまり「ジャイアンとスネ夫14人」スキームは維持しているということなんです↓
またこの図を出すことになろうとは…
ロシア連邦「え、先生、いじめちゃいますよ。おれら親友っすよ!な?」
その他の国々「う、うん。」
現在CISにはソ連を構成してた15か国のうち、バルト三国(リトアニア/ラトヴィア/エストニア)とウクライナ&ジョージアを除く10ヵ国が加盟しています。
最新の情報は外務省HP(⇒独立国家共同体)にてご確認ください。
こうして1922年から続くソ連が1991年に解体され69年の歴史に幕を閉じました。
こうしてロシア連邦初代大統領のエリツィンはロシアの復興を始めたとさ。
ソ連の歴史は一応ここで終わりますが、現在にも繋がる話なのでもう少しお付き合いください。
興味ない方はここまでで、お読み下さりありがとうございましたm(__)m
エリツィンがロシア連邦初代大統領に
ソ連が解体し、ロシア共和国はロシア連邦に名前を変えてエリツィンが初代ロシア連邦大統領になりました。
オレガ コノクニヲ カエル!!!!!
エリツィン大統領が真っ先にやったこと、それがロシア連邦の民主化でした!
お、民主化か!
エリツィンよくやった!
そう思いましたか?
筆者はそう思いました、しかし甘かったようです…。
価格の自由化でロシアがガタガタに
エリツィンがロシア連邦を民主化し、価格の自由化を始めたら何が起こったのか?
筆者の頭の中では、
→各社が自由に価格設定
→市場の原理である一定の価格に落ち着く
→競争原理で各社が付加価値を付けてより質の高い製品が出回る
→GDP爆増
→経済が完全に復活する
という流れを想像しました。
恐らくエリツィン先生もそう考えたのでしょう、しかしこの推測は大きく外れることになりました。
ロシアでは、1992年だけで2600%のインフレが進行しました!
年始には10円だった風船ガムが年末には260円になっていたということ。
なぜだかわかりますか?
今までソ連はずっと、企業は国有化し計画経済で他社競合による価格の自由化を認めていませんでした。
そう、当時のロシアの企業には競合他社がいなかったのです。
食材を売ってるのはマックスバリューだけ、服を売ってるのはユニクロだけ、車を売ってるのはトヨタだけ。
この状態で「価格は好きに決めていいよ」って言われたら各社が暴走すると思いません?
だってロシアにはユニクロ以外の服を売る店が無いんですもん。
冬用のライトダウン1着70,000円にしても売れますよね?
競合他社がいないんだから。
つまりそういうことなんです。
超ハイパーインフレが起きますよね。
筆者の推論➁「各社が自由に~」の段階でこのシミュレーションは失敗でした、そもそも「各社」がいないんですから(笑)
ライバルが全くいない状況で好きに価格を設定していいなら、もうパンデミック状態です(´・ω・`)
エリツィン、プーチンへ世代交代
そしてとうとう最後です。
ソ連からの流れをくんだロシア連邦の初代大統領エリツィンが様々な国際的批判を経て、遂にプーチン大統領を後継者に指名して引退しました。
エリツィンは、民族紛争があればこれを武力で鎮圧し、価格の自由化で国民を窮地に陥れて、あげく汚職まみれで引退したので、後継者に指名したプーチンとは密約があったと言われています。
プーチン大統領は怪僧ラスプーチンに憧れてプーチンと名乗ってるそうですよ。
プーチン大統領の人間分析は中田敦彦氏の動画に譲ります。
先ほども紹介した小泉悠先生の著書にもプーチン大統領の人間分析がされているので興味がある方は是非!
おわりに
レーニンからスターリン、フルシチョフからブレジネフ・・・と最後はナウで話題のプーチン大統領まで。
ロシア連邦の前身はソ連、ソ連の歴史を知ることで現在の世界の紛争の原因を少しは理解しやすくなると思いますし、ソ連がまいた紛争の種は現在でも世界の至る所で民族紛争として花を咲かせています。
中高でチラッと耳にした事のある用語が頻出して、今更ながら「あーそういうことやったんか!」と思う事も多いです。
もし間違いがあれば、コメントかお問い合わせ欄で教えてください。
ダズビダーニャ
(ロシア語でさようなら)
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