本記事は、2017年に行ったヨーロッパ一人旅の記録を振り返るものであり、エストニアの首都タリンでの滞在を中心に、当時の思い出をゆるりと綴っていく。
高熱で寒気マックスの中で観光したタリン
旅の期間は2017年初頭、およそ1か月。
東欧・バルト三国・アイスランドなど、これまで訪れたことのなかった国々を巡る冒険だった。
今回の旅には、
- 旅仲間(以下「エリ」)との同行
- 初めてのレンタカー運転
- 人生初のテント泊
という3つの大きな挑戦があり、まさに忘れがたい出来事の連続であった。
本記事では、その旅の始まりから順に振り返っていきたい。
各国1日ずつのバルト三国旅 ~エストニア~
さて、ついにこの地までやって来た。
バルト三国最後のエストニアである。
バルト三国とは何ぞや
バルト三国とは、バルト海のほとりにちょこんと並んだ三兄弟──リトアニア、ラトビア、エストニア──のことを指す。
中世の頃から、ドイツ騎士団、ポーランド、スウェーデン、そしておなじみソ連などに代わる代わる支配されてきたという、なかなかの苦労人たちである。
それでも彼らはめげなかった。
第一次世界大戦後の1918年に、見事に独立を果たす。おめでとう!
……が、しかし。
1940年、「あっち入っといて」とばかりにソ連に組み込まれ、第二次世界大戦後には十数万人がシベリア送り(=氷点下の絶望)というハードモード突入。
だが時は流れ、1980年代後半。
ゴルバチョフ書記長の「ペレストロイカ(立て直し)」の風が吹き、再び独立運動が活発化。そして1991年8月、ついに再独立を成し遂げたのだ。
おかえり、エストニア。
翌月にはソ連も独立を承認。
今ではEUにもちゃっかり加入し、首都タリンを筆頭に「世界一美しい街並み」とも称されるバルト三国。
小国ながら、実に味わい深い。
タリンに到着、ホステルへ
リガから高速バスに揺られること約5時間。
ラトビア人の友人マリスと涙の別れ(特に涙は出ていない)を果たし、筆者らはエストニアの首都タリンへと到着したのである。
時は2017年2月5日(日)。
到着時刻はだいたい19時半から20時頃。日曜の夜だ。
北欧のこの時間帯においては、当然ながら外は真っ暗。
ちなみにタリンはけっこう北に位置している都市である。
下図を見ればその“北っぷり”が一目瞭然だろう。
寒さの本気度もかなりのもので、この日のタリンは、文字通り「超寒い」。
気温だけでなく心まで凍りつくような空気に包まれていた。
さて、筆者はこのタリンでは、旅仲間のエリとは別々の宿を予約していた。
なぜなら翌日の晩にはアイスランドへ飛ぶ予定だった筆者と、数泊タリンに腰を据える予定のエリとでは、泊まるスケジュールが噛み合わなかったからである。
よって、筆者はタリンの冷たい夜の街を一人とぼとぼと歩きながら、自らの宿を探す羽目になった。
そしてそのホステルの名前がすごい。
なんと『Hostel House』。
……なんだこの一周まわって意味がよくわからないネーミングは。
ホステルなのかハウスなのか、どっちかにしてほしい
(いや、たぶん両方なんだろうが)。
とにかく、暗くて寒いタリンの夜道を、ほぼ半泣きになりながら、ついにホステルを発見した筆者。
ここまでの道のり、決してラクではなかった。
貧乏バックパッカーにとって、ポケットWi-Fiなどという文明の利器は夢のまた夢。
道に迷うリスクを減らすためには、出発前にWi-Fiのあるうちにルートを頭に叩き込むか、地図のスクリーンショットを頼りに歩くか、それしか選択肢はない。
タクシー呼びたがるホステルスタッフ
ようやくホステル『Hostel House』を発見し、「やっと休める……」と安堵したのも束の間。
なんと、宿の扉が閉まっているではないか。
玄関の照明も消えており、完全に「本日は臨時休業中」みたいな雰囲気になっている。
寒空の下で、これはかなりショッキングな展開である。
「もしかして……受付時間、終了……?(´;ω;`)」
筆者の脳裏をよぎったのは、あの2015年2月。
場所はプラハ。
あのときは親友と二人で、チェックイン時刻を過ぎたホステルの前で絶望し、凍えながら野宿したという苦い記憶が蘇る。
まさに冬の悪夢。
ゴクリ……嫌な汗が背中を伝う。
だが、今回は違った。
ただ単にスタッフがちょっと別の場所にいただけであった。
拍子抜けである。
無事に受付を済ませ、部屋へ案内され、荷物を置き、財布だけをポケットに突っ込む。
筆者「徒歩圏内のスーパーマーケット、近くにありまっか?」
スタッフに訊いたところ、彼の反応がすごかった。
スタッフ「いや、それ遠いで!? 徒歩じゃ無理や。タクシー呼んだるから、それで行き!!」
……なんとも即決である。
そんなに遠いのか、と言われれば、旅の疲れもあるし仕方ない。
おとなしくタクシーを呼んでもらう。
タクシーに乗り込み、数分後──到着。
スーパーに着いたその瞬間、筆者は思った。
いや、歩けるやん!!Σ(゚Д゚)
そう、地図で確認したところ、距離にしてわずか500メートル。

これは“遠い”どころか、ウォーミングアップである。
空港の搭乗口までの距離のほうが長いレベル。
高すぎる買い物だ。
このとき筆者は確信した。
「これ、タクシー会社とグルなんじゃ……?」
もちろん真相は闇の中だが、旅先ではこういう“親切を装った利害関係者”がいることを忘れてはならない。
これは不動産屋や保険の営業トークとまったく同じ構造である。
旅人よ、まずはGoogle Mapで調べるのだ。
すべてはそこから始まる。
スーパーマーケットでは基本的に写真は禁止
スーパーマーケットに到着した。
だがここで一言警告しておこう。
スーパーで写真を撮るのはやめた方がいい。
もはや命知らずのアドベンチャーとも言える。
特にヨーロッパ。
あの平和そうなオーガニックコーナーの裏に、セキュリティが潜んでいる。
カゴにバナナを入れた瞬間は笑顔でも、カメラを構えた瞬間、空気が変わる。
おそらく盗撮かなにかの犯罪行為と疑われたのだろう。
筆者は以前パリのスーパーで何気なく陳列棚を撮影した。
チーズが美しく並びすぎていて、もう撮らずにはいられなかったのである。
まるでモナリザを前にした観光客のような心境だった。
だが次の瞬間、背後から「お前、なにしてんだ」の声。
振り返ると、筋肉質のセキュリティが、ゴツい無線機を肩に、仁王立ちでこちらを見ている。
「撮った写真を見せろ」と言われ、スマホを差し出す筆者。
そこにはただのヨーグルトとバゲット。
テロの影すらない。
だが全削除を命じられた。
チーズもパンも、そして筆者のプライドも無に帰した。
ちなみに、怒られたのはパリだけではない。
皆さん、どうか覚えておいてほしい。
スーパーマーケットで写真を撮るという行為は、ただの記録ではない。
次にあなたがレタスを撮ろうとした瞬間、後ろに立っているのは……もう、おわかりだろう。
タリンで革靴、死す。合掌。
PRISMAというモールに立ち寄った。
なかなか大きな施設で、例えるなら北欧版イオンタウンといったところか。
雑多で広くて、ちょっとワクワクする、あの感じである。
モールを堪能し、帰りは徒歩。そう、ここで事件が起こる。
通常、筆者は旅の相棒にランニングシューズを選ぶ。
軽くて強くて、何なら寝袋より信頼できる存在だ。
しかし今回に限って、なぜか足元にはNICOLEという謎のブランド(たぶんオシャレ系)の革靴を履いていた。
しかも新品。
しかも出国2日前に購入。
しかも職場関係の3割引き試供品。
──もう、この時点でフラグは立っていた。
出発前、エリに
「え、まさかその靴で行くんですか……?」
と、半笑い・半ドン引きで言われたのを思い出す。
見た目はバチッと決まっているが、中身はマラソン0.3kmでガス欠する軽自動車みたいなものである。
そして、タリンの石畳の洗礼を受けて間もなく、かかと、ちぎれる。
新品なのに。まだ10日目なのに。
かかとがスパッと裂け、旅のテンションも一緒に崩壊した。
街中で一人「うそやろ……?」と呟く筆者の足元には、なぜかスポーツカーのエンブレムみたいにめくれあがった革のかかと。
さようならNICOLE、こんにちは絶望。
とはいえ、旅はまだ2週間以上続く。
よってこの壊れた革靴とともに、筆者は歩き続ける運命である。
かかとのない靴で旅を続ける姿、それはもはや修行僧の域。
旅とはかくも非情なものなのだ。
“HOSTEL HOUSE” in Tallinn
今回筆者が泊まったのは、タリンの”Hostel House”という宿である。
名前からしてシンプルで信用できそうな響きだ。
場所もアクセスも良好、そして何より──
宿泊者、筆者ひとり。
とは言え、この部屋はツインベッドルームであり、見知らぬ異性と相部屋になった日にゃぁ…何が起こるかわかったもんじゃない。
冬のヨーロッパは旅人のオフシーズン。
ホテル業界もほぼ冬眠状態である。
そのため、スタッフからは「好きなベッドで寝ていいよ」という、パジャマパーティーのようなありがたいお言葉を頂いた。
室内は清潔。
ほこり一つなく、ニオイもない。
やればできるじゃないかエストニアのホステル。
地下には広々としたキッチンがあり、火力も十分。
中華でも炒め物でもバッチコイである。
トイレも清潔、シャワー室にはなんとプールまで付いている。
さすが北欧、サウナが付いていれば完璧だったのだが。
謎のディナー
そして、晩ご飯タイム。
さっき話した近くのスーパーで買った食材を調理し、さあ実食……となったところで、ふと気づいた。
写真右上に写るパスタソースのラベル──キリル文字である。
「なんだこの文字……読めそうで読めない……えーっと……”Nの反対+KPA”?」
じっと見つめる筆者。
出典:進撃の巨人 諫山創
……何だこの文字は?
俺には読めない。
「イクラ」…って書いてあるのか…?
お前……よく…この文字が読めるな…
筆者の脳が回転し始める。
そして、ある結論にたどり着いた。
「イクラ」と書いてある!!!(確信)
キリル文字の「Р」はローマ字の「R」、つまり「KPA」=「KRA」→ い・く・ら。
まさかのイクラソースである。
やはりロシアに近いだけあって、海産物への愛が深い。
だがここで大きな矛盾が生じる。
筆者、魚介類が食べられない。
じゃあ何でイクラソース買ったんだ。
何を考えてたんだ過去の自分。
そして本当に食べたのか?
食べたのならなぜ平気だったのか?
食べてないのなら、このパスタは一体何味だったんだ……!?
記憶の霧は深く、ソースの味も脳内からは失われている。
もう8年前の話である。
おそらく無意識に選び、無意識に避け、無意識に代用したのだろう。
こうして、「イクラ味だったかもしれないけど、絶対食べてない謎パスタ」は、タリンの夜に静かに消えていったのであった。
ChatGPTの出現により、写真を解読させた結果がこちら。
ブランド名:Верес(Veres)
商品名:Икра кабачковая(イクラ・カバチコヴァヤ)
日本語訳:「ズッキーニキャビア(ズッキーニペースト)」
ズッキーニキャビアとは?
起源:ロシアやウクライナなど旧ソ連圏の伝統的な保存食。
主な材料:
・ズッキーニ(またはカボチャ系野菜)
・玉ねぎ
・ニンジン
・トマトペースト
・植物油、塩、スパイスなど
味の特徴:
・やさしい甘みとトマトの酸味
・クリーミーな食感
・肉やパスタと相性が良い
結論、確かにイクラとは書いてあるが味は完全なベジタリアン。
魚卵など全く入っていなかった。
ようやく空が晴れた──と思ったら、体が壊れた。
2017年2月6日、タリンにて。
ようやく空が晴れた──と思ったら、体が壊れた。
プラハ、ビリニュス、リガ。
東欧から北欧の三都を巡ってきた筆者らだったが、一週間ずっと曇天であった。
空は鉛色、写真はすべて灰色、心も若干くすんできた頃である。
そんな中、ついにエストニア・タリンで青空を拝む。
2017年2月6日(月)、ついに晴天。
そんな中、ついにエストニア・タリンで青空を拝む。
2017年2月6日(月)、ついに晴天。
その日、筆者は旅の相方エリを宿の近くまで迎えに行くという、ジェントル紳士ムーブを決行。
アイム・ア・ジェントルマン(自己申告制)
しかし、朝からずっとある違和感があった。
「とにかく、寒い」
気温の問題ではない。
空気が骨に刺さるような感覚。
鼻水がエンドレスランしている。
着込んでも寒い、重ねても寒い、なんなら自分の影すら冷たく感じる。
でもこの時の筆者はまだ気づいていない。
「風邪?いやいや、エストニアが北すぎるだけやろ」
「緯度、ヤバいからな!」
と謎の地理知識でごまかしていた。
なぜならエストニアの首都タリンの緯度はこうである↓
タリンと北海道の差は、北海道と沖縄の差とくらいある。
エリと合流後も、
筆者「あー寒い。エストニア入って急に寒くなったくない?」
エリ「え、そうですか? 確かに寒いですけど、ゆーてかな」
筆者「いや、なんか身体の底から冷えると言うか。ガクブルやねんけど」
エリ「風邪でも引いたんちゃいますか?うつさないでくださいよ(笑)」
筆者「いやいやいや(笑)風邪ではない!!!(根拠ゼロの断言)」
──そう、寒がってるのは筆者だけだった。
他の観光客は楽しげに街歩き、エリもわりと平然、なのに筆者だけ凍え笑顔。
街並みは中世ヨーロッパのように美しい。
だが、筆者はもはや「歩くカイロを求める彷徨者」であった。
観光名所? 調べていない。
観光プラン? 皆無である。
「なんとなく歩きまわってりゃ何かあるっしょ」という、バックパッカーあるある全開で街をうろついた。
だが、どこを歩いても体調は一向に改善しない。
むしろ寒さが内側から湧き上がる。
この頃からようやく、筆者の脳内に警報が鳴り始める。
「……これ、もしや風邪では?」
旅は健康が命。
だが、筆者は気づくのが遅かった。
「晴れたから元気になると思ってたら、身体の天気が大荒れでした」という皮肉。
エストニア湾じゃなくフィンランド湾ね
タイトルからして何かの誤植か?と思われたかもしれない。だが違う。
この「エストニア湾じゃなくフィンランド湾」という、やや挑発的なタイトルには深い(ようで浅い)理由がある。
結論から言うと、タリンから徒歩でアクセスできるこの美しい海──
名前は「フィンランド湾」である。
そう、エストニアとフィンランドに挟まれたこの湾は、地理的には両国の“共用海”的存在であるにも関わらず、名乗っているのは「フィンランド」のみ。
筆者、これに若干の違和感を抱いた。
というのも、これはどこかで見た構図に似ている。
たとえば、日本海。
日本海は国際的にも「Japan Sea」で通っているが、これに異を唱える某お隣の国がある。
韓国政府「日本海という名前はおかしいニダー」(※意訳)
まさに、名前の主導権問題である。
この構図をそのままバルト海に持ってきたとしたら──
エストニア市民
「なぜうちの目の前の海が“フィンランド湾”なんだ」
「我々の視点ではむしろ“エストニア湾”では?」
そう思っていてもおかしくない。
……いや、実際に思ってるのかは知らない。
聞いたこともない。
が、可能性はゼロではない。
ちなみにこのあたりの国際名称問題、日本海だけでなく東シナ海やペルシャ湾などでも見られる。
世界は名前に敏感なのだ。
国際的にも「日本海」は"Japan sea"と呼ばれている!!筆者、ふと気になった。「日本海って、国際的にはなんて呼ばれてるの?」まさか、Japanese Sea(ジャパニーズ・シー)とかいう、妙に“所有感”の強い名前で[…]
そんなことをぼんやり考えながら、筆者はフィンランド湾に到着した。
ギャーーーーーーーーー!!!!!
フィンランド湾ーーーーー!!!!
(※感動が叫び声になってしまったが、特に危険はない)
晴れた日の海ほど気持ちのいいものはない。
冷たい空気、澄んだ水平線、波打つ水面。
全てが目と肌に染みる。
なお、旅の同行者エリはというと、街歩きにはあまり関心がなく、外国人との交流がメインテーマだったようで、ややヒマを持て余していた節がある。
筆者「めっちゃ海ええやん!」
エリ「そうですね(通行人の外国人をガン見)」
筆者「いやーやっぱり晴れてると心も体もリフレッシュするよなぁぁ」
エリ「そうですね」
筆者「さすが世界一美しい町!!心まで晴れる気分やな」
エリ「そうですね」
二人のテンション差は完全にバルト海高気圧とシベリア寒気団並みであった。
手売り作家の宿命
タリン市内を歩いていたら、突然「コンニチハーーー!!」と元気な日本語で話しかけてくる男が現れた。
年の頃は40代後半と見える。
肩にはギター、手にはスマホ、そして足元には段ボールで作ったCDラック。
なるほど、自作楽曲の手売りアーティストである。
筆者とエリに対して、いきなりスマホを突き出し音楽を再生。
あたりに軽やかなエレキの音が流れる。
本人曰く、「ジャズ×アンビエント×ソウル×民族音楽」らしい(全部のせか)。
我々の反応。
筆者「あー…まあ…いい曲ですね( ˘ω˘ )」
エリ「うん、まあ…そうですね。」
曖昧なリアクションを返す。
別に悪くはない、が、良くもない。
そして次の瞬間、来た。
手売り作家「これ、俺の曲やねん!CD売ってるねん!どう?どうどうどう!?買ってってやー!」
テンションが急上昇している。
目は輝き、声は震え、魂がこもっている。
我々は思った。
「日本人特有の気遣い『本音と建前』をご存知ないのかな?」
だが、我々の内心はこうである。
(心の声)「いや、そんなジャンル不明のCD、興味ないし聴かんし、絶対にいらんわ。」
居酒屋にて作戦会議
昼をかなり過ぎた頃、ようやくレストランに入った。
空腹と疲労がピークだったので、選んだのは
- ガッツリ系の肉料理
- 山盛りポテト
- 謎スープ
- ザワークラウト(酢漬けキャベツ)
という、胃袋に鉄球を落とすようなメニューである。
筆者「……これ、夕飯までいらんやつやな」
ザワークラウトはヨーロッパでは定番の付け合わせで、最初は酸っぱくて驚くが、慣れると意外とクセになる。
でも今日はそれどころじゃなかった。
この店には、弱めながらもWi-Fiが飛んでいた。
歩き疲れていた我々は、ここでしばしの小休止を取ることにした。
カフェでもなく、レストランでもなく、もはや作戦会議室である。
なぜなら──
筆者とエリは、明日からしばしの別行動に入るからである。
エリはまだ20歳と3カ月。
しかも女性ひとり旅。
異国ヨーロッパをこの若さで単独行動させることに、筆者の内心は穏やかではなかった。
頭の中には、エリのお母様からのLINEがずっとこだましていた。
「ヨーロッパで頼れるのはRYOさんだけです。なにとぞ、うちの娘をお願いします。」
そんなお母様に対し、
「お任せください!!エリさんのことはぼくが全力でお守りし、必ずや無事に日本まで送り届けます!!!」
みたいな中二病丸出しの大見得を切ってしまっていた。
とはいえ旅というのはその性質上、自己責任の面も多分にある。
いつかは離れて、それぞれの景色を見る必要があるのだ。
しかし、エリが異国の地で何かあったらと思うと、胃のあたりがザワークラウトのように酸っぱくなる。
筆者「エリよ、頼むから無事でいてくれ……!」
観光名所の一つも調べず、己の第六感だけを頼りに感覚で動く我々の旅。
そんな中での一人旅は、少々の勇気と、大いなる運が必要だ。
今は笑っているエリの笑顔が、次に見られるのはいつになるのか──。
別れの時
店を出る直前、エリがふと足を止め、小さな声でつぶやいた。
「……なんか、離れるの、さみしいですね」
その言葉は、夜風よりも静かに、けれど確かに胸の奥へと落ちていった。
筆者はすぐに言葉を返せなかった。
ただ、手にしたコーラのストローに口をつけたまま、目を逸らしながら静かに頷いた。
その一瞬が、永遠のように感じられた。
しかし二人の雰囲気はその後一変した。
筆者「じゃあ次はパリのCDG空港で!くれぐれも安全に!」
エリ「わかってますって!ではまた(笑)」
まるで羽が生えたように軽やかな足取りで、エリは手を振って去っていく。
その後ろ姿には、寂しさよりもむしろ自由を得た喜びがにじんでいた。
筆者は、その様子を見送りながら、ひとりでふっと苦笑する。
――さっきの「さみしい」は、きっとあの場の雰囲気に流されたただの気まぐれだったのかもしれない。
それでも、たった一瞬でも、心が重なったような錯覚を覚えたのは、まぎれもない事実だった。
そして、コーラの氷がカランと鳴った。
それがまるで、夢から覚める合図のように思えた。
バスの乗り場は必ず事前に確認しておくように!
エリに、あれこれと先輩風を吹かせながら旅の心得を伝授していた筆者だが──
まさかその直後、自分が最も基本的な旅の落とし穴に落ちるとは思っていなかった。
さて、アイスランド行きのフライトを控え、いったん宿に戻って荷物を回収する。
うむ、まずは宿に帰ろう。
筆者「もう余裕っしょ、これ勝ったな」
ところがどっこい、ホステルまで帰るバスの「帰りの乗り場」がわからん。
さらに、案内表示が極めて分かりづらく、地図アプリも役に立たない。
気付けば時間がどんどん削られていく。
筆者「ちょ、マジでこれ間に合わんパターンあるぞ!?」
結果的には、猛ダッシュで宿に滑り込み、ギリッギリの攻防となった。
心臓バクバク、息ゼェゼェ、汗ダラダラ。
荷物は無事だったが、精神が崩壊寸前であった。
空港ダッシュ
大急ぎでホステルの荷物を回収したが、既に詰んでいた。
筆者は悟った。
「もう、歩いて行く時間は……ない(確信)」
宿から空港までは約5kmほど、当初は「余裕で歩ける」とそう思っていた。
しかしもう、その段階は過ぎた。
即座にスタッフにタクシーを頼む。
「タリンエアポートに、今すぐにいいいいい!!!!」
──叫ぶ筆者。もはや冷静さの欠片もない。
タクシーの中ではずっと「ヤバいヤバいヤバい」と呟きながらハラハラドキドキ、
気分は完全に逃走中のハンターに追われる芸能人状態。
到着した先には、
TALLINNA LENNUJAAM
(たぶん「タリン空港」)
筆者「たりーな れにゅやーむ……?」
語感だけでちょっと楽しくなるが、そんな余裕はない。
目の前にあるのはターミナルビル。
時刻はギリギリ。
脳内BGMは「ルパン三世のテーマ(追跡Ver)」である。
筆者(心の声)「ハアハア……間に合うのか、これ……?」
そして空港に入った瞬間──
……え?
ハアハア、ハアハア…
ガラッガラ!
だんれもいない。
待ち時間ゼロ。チェックイン即完了。荷物預けも1分。
セキュリティゲート通過に至っては、筆者史上最速の5分で突破成功。
なんやねんこの無風スピード出国。
あのパニックは一体何だったのか。
巨大チェス盤
そして、そんな筆者の視界に飛び込んできたのが──
巨大なチェス盤。
セキュリティゲートを抜けた出発ロビーの様子
そう、人間チェスである。
ヨーロッパの一部の空港では、こうした「謎のチェス設備」が常設されているのだ。
暇つぶしにしては本気すぎるスケール感である。
筆者はその瞬間、ハリー・ポッターのあの名シーンを思い出した。
ロン「僕のナイトが動けば、敵のクイーンが僕を取りに来る。そうすればハリー、君は王をチェックするんだ」
ハリー「ロン、やめるんだ!」
ハーマイオニー「どういうこと?」
ハリー「ロンは自分を犠牲にするつもりなんだよ」
ハーマイオニー「だめよ。他に手はあるはず!」
調べたらこんな記事を発見した。
人生とは時に、駒のように動かされるもの。
だが、今回ばかりは筆者自身が空港という盤上で奔走したナイトだった。
そしてチェックメイト寸前で逆転したのだ──
……とでも思わなければ、このドタバタ劇は報われない。
困った時の空港泊
飛行機から見たタリンの夜景
タリンを飛び立ち、経由地であるノルウェー・オスロへと到着。
最終目的地はアイスランドの首都レイキャビクにあるケフラヴィーク空港。
しかし、オスロからの便は翌朝発。
ちなみにこの日のコンディションを簡潔に言うと、
高熱。
風邪を引いた状態で朝から晩まで動き続け、夜中には意識が薄れていた。
当時のメモが残っていた。
【毎年恒例】
ヨーロッパ2週間目に到達すれば、そろそろ「日本食食べた過ぎて我慢できない症候群」が出始める頃。
もう限界…
パンとかパスタとかポテトにお肉。
もう無理。
いや、確かに美味しいよ、食べたら!
でも日本食or中華料理独り勝ち説…
しかも今は五年に一度くらいの熱出て死ぬほどツライ。
俺がCAさんに「すみません、どうしても頭が痛くて…頭痛薬とか何か 何でもいいのでありますか?」と聞いたほど。
貰った錠剤のおかげで今はまだまし🤑
Ryo is at Oslo lufthavn Gardermoen.
Feb 7, 2017, 6:14 AM
そんな筆者にとって、人生で最も脳が回っていない瞬間がやってくる。
高熱に朦朧としながら、こう思ったのだ。
「薬が……ほしい……」
空港のどこかに薬局があるかもしれない。
意を決して空港職員に声をかけた。
本来言いたかったのはこうである。
(この空港に薬局ってありますか?)
ところが出てきたのは、筆者語録2017年(高熱ver.)に収録されるであろうこの一文。
英語が……小学生レベルまで退化していた。
「pharmacy」が出てこなかった。
あんなに中学英語で習ったのに。
今まで何度も海外で使ってきたのに。
今この大事なタイミングで、まさかの脳内から削除。
空港職員はポカンとしつつも、
「ああ、pharmacyね」と笑顔で返してくれた。
その時、筆者は悟った。
「英語力ってのは、体温とともに下がる」
空港泊はつらい。
特に体調不良のときは地獄である。
だが、世界中どこの空港でも一応屋根はあるしWi-Fiもある。
困ったら、とりあえず空港泊。
それがバックパッカー界隈の鉄則である。
アイスランドへ
さあ、いよいよ人生で最も過酷な旅が幕を開ける。
その舞台は氷と火の国──アイスランド。
しかし、この旅における最大の試練は氷河でも火山でもなく、筆者自身の体温であった。
言うまでもなく、高熱で死にかけていたのだ。
筆者「あ、これ普通に病院行くべきレベルだわ」
なのに、そんな状態で北大西洋をまたぎ、謎の気合いだけで飛行機に乗り込んだのである。
普通の旅行者ならこの時点で旅をキャンセルしている。
だが筆者は違う。
「だってアイスランド行くとか、一生に一度じゃね?」
「今行かんかったら次いつ行けんねん?」
という、根拠ゼロの自己暗示をかけていた。
飛行機の中では、体温がどんどん上がっていくのを感じた。
周囲の乗客の「なんかこの人、ずっとフードかぶって震えてない?」という目線を無視し、
筆者「いやこれは機内が寒いだけ……寒いだけ……(幻聴)」
と言い聞かせていた。
それでも、なんとか到着。
ここからのアイスランド旅行、なんと友人たちには「面白かった」と大好評だったという。
筆者「これが”命を削った面白さ”か……」
2017年2月7日〜10日の4日間、筆者は火と氷の国・アイスランドを旅した。そう、あのアイスランドである。火山あり、氷河あり、温泉あり、物価バカ高し──という、“絶景と絶望”が同居する北大西洋の孤島国家である[…]