【ヨーロッパ旅行記】リトアニアの首都ビリニュス【4/24】

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本記事は、2017年に行ったヨーロッパ一人旅の記録を振り返るものであり、リトアニアの首都ビリニュスでの滞在を中心に、当時の思い出をゆるりと綴っていく。

リトアニア ビリニュス
ウクライナ人の元軍人で、このおっちゃんのおかげで楽しい食事の場が地獄と化した。

旅の期間は2017年初頭、およそ1か月。

東欧・バルト三国・アイスランドなど、これまで訪れたことのなかった国々を巡る冒険だった。

今回の旅には、

  1. 旅仲間(以下「エリ」)との同行
  2. 初めてのレンタカー運転
  3. 人生初のテント泊

という3つの大きな挑戦があり、まさに忘れがたい出来事の連続であった。

本記事では、その旅の始まりから順に振り返っていきたい。

各国1日ずつのバルト三国旅 ~リトアニア~

さて、ついにこの地までやって来た。

リトアニアである。

バルト三国とは何ぞや

バルト三国とは、バルト海のほとりにちょこんと並んだ三兄弟──リトアニア、ラトビア、エストニア──のことを指す。

チェコ プラハ ブログ

中世の頃から、ドイツ騎士団、ポーランド、スウェーデン、そしておなじみソ連などに代わる代わる支配されてきたという、なかなかの苦労人たちである。

それでも彼らはめげなかった。

第一次世界大戦後の1918年に、見事に独立を果たす。おめでとう!

……が、しかし。

1940年、「あっち入っといて」とばかりにソ連に組み込まれ、第二次世界大戦後には十数万人がシベリア送り(=氷点下の絶望)というハードモード突入。

だが時は流れ、1980年代後半。

ゴルバチョフ書記長の「ペレストロイカ(立て直し)」の風が吹き、再び独立運動が活発化。そして1991年8月、ついに再独立を成し遂げたのだ。

おかえり、リトアニア。

翌月にはソ連も独立を承認。

つまりバルト三国は、ソ連が「うん」と言った最後の彼女というわけだ。

今ではEUにもちゃっかり加入し、首都ビリニュスを筆頭に「世界一美しい街並み」とも称されるバルト三国。

小国ながら、実に味わい深い。

プラハからビリニュスへ

旅の舞台は2017年2月2日(木)──チェコの首都プラハを出発。

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チェコ プラハ

目的地はリトアニアの首都ビリニュス。

この移動がまぁ、長い。

Googleマップ先生によれば、普通車で13時間。

「ふむ、まぁまぁ遠いな」と思いきや──

別サイトで調べたら、バスで20時間と来た。

……そう言えば、やたら長くバスに揺られていた記憶がある。

ケツが四角くなったのも今では良き思い出(?)である。

前日の16:30にプラハを出発して、到着したのは翌日の昼12時すぎ。

なるほど、確かに20時間のロングライドであった。

もはや移動というより修行である。

ヨーロッパの冬は陰鬱である

ビリニュスのバスターミナルでバスを降りたその瞬間、視界のすぐ先に目的のホステルが現れた。

「おっ、近っ!」と声が出るほどの好立地。

事前情報通り、目の前であった。

その名も──「5 euro hostel」

5 Euro Hostel Vilnius

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名前の通り、安さに全力をかけた潔いホステルである。

玄関はやや心細い造りで、正直「この中、大丈夫か……?」と一瞬たじろいだが、階段を上って3階・4階部分に行くと、意外にも広々。

「中はちゃんとしてるやん」と安心した記憶がある。

さて、時計を確認すれば正午過ぎ──のはずである。

……だが、どう見ても昼の顔ではない。

空はどんより、光はぼんやり。正午どころか、朝でも夕方でも通用しそうな薄暗さであった。

というのも、アルプス山脈以北のヨーロッパの冬はとにかく陰鬱なのだ。

朝はいつまでも暗く、夕方は瞬きする間に真っ暗になる。

こうした日照条件の厳しさが、ロマネスクやゴシックといった重厚な建築様式を育んだのだなと、今なら旅先でも建築オタクの血が騒いだであろう。

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西洋建築 ヨーロッパ建築

シャウレイに行きたかった件

今回、実は筆者には「Šiauliai(シャウレイ)」という町にどうしても行きたかったという心残りがある。

そこには、かの有名な──十字架の丘という場所があるのだ。

「十字架?丘?ふーん」と思った方、侮るなかれ。

その丘には、信じられない数の十字架が所狭しと突き刺さっている。

もはや十字架の森。
いや、十字架の軍隊である。


(出典:Visiting the incredible Hill of Crosses near Šiauliai in Lithuania

実際の写真を見た瞬間、「これは行かなきゃダメなやつだ」と確信した。が……

地図を広げて青ざめた。

ビリニュスからシャウレイまでは約220km。

この「バルト三国1日ずつ旅」のスケジュールでは、立ち寄る余地は皆無であった。

無念……。

「次こそは必ず行く」
そう誓いながら、ホステルのベッドに身体を沈めたのである。

西洋建築を知っていれば楽しさ倍増の町、ビリニュス

※これからヨーロッパを旅する諸君へ──
旅の前には西洋建築(ヨーロッパ建築)の予習をしておくべし。
これは命令である。

さて、話を戻そう。

荷物をホステルの部屋に置き、一息ついたのも束の間、すぐさまシティセンター(旧市街)を目指してエリとともに散歩開始。

幸いにもビリニュスの町は非常にコンパクト。

のんびり歩いても20分ほどで旧市街の中心地に到着する。

夜明けの門(1563年)

そして、さっそく見えてきたのがこの建物である。

この門、名前からしてすでにカッコいいが、歴史もなかなかのもの。

もともとは木製の門として建てられたが、その後、石造りの門へとリニューアルされた。

築年はなんと1563年。

戦国時代である。
織田信長もびっくりだ。

もし晴れていれば、まさに絵になる美しさである。


(出典:Gates of Dawn

そして注目すべきは、そのクラシカルな建築様式。

具体的には──

  1. 上部にペディメント
  2. 両脇にピラスター(平たい柱)
  3. 中央に丸形アーチ

この三点セットが織りなす、見事な古典建築感。

今の私であれば、この門一つで10分は語れる。

いや、語る。

……だが当時の自分はどうだったか?

完全スルーである。

知識が無ければ、ただの門に過ぎぬ。

実にもったいない話だ。

市役所へ向かう途中

「ただ歩くだけでは能がない」──そう思っていた当時の私は正しかった。

能がない理由はただひとつ。
(繰り返し言っているが)建築知識がなかったからである。

だが、その後も歩みを止めずに進んで行くと、やがてビリニュス市役所が見えてきた。

一見して、「あれ? ギリシャ神殿?」と思わせるファサード(正面部分)。

そう、それもそのはず──パルテノン神殿風の装飾が正面に貼られているのだ。

ギリシャ建築 オーダー
ギリシャの首都アテネにあるパルテノン神殿(筆者撮影)

しかも正面から見ると、

「おおっ、ローマのパンテオンと構造が似ているではないか!」と感動すら覚える。

※パンテオンとは、ローマ建築の至宝であり、柱+三角の屋根が印象的な建物である。

ローマ建築
ローマ建築の傑作パンテオン

……が、側面に回ってみたら、ただの直方体の建物だった。

貼ってあるだけであった。

夢から醒める瞬間である。

とはいえ、今になって振り返れば…

「感動、まぢ感動」である(今は)

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新古典主義建築とは

でも、当時の自分たちは──

正直なところ、そのときの我々の感想はこうであった。

「ほんとにここが“世界一美しい町”のひとつなのか……?」

それもそのはず。

天気は最悪、空は鉛色。

写真映えゼロである。

その後も街歩きを続ける。

ようやく時計を見つけて時間を確認すると、現在17時45分。

それにしても……暗すぎるやろ(゚Д゚;)

ヨーロッパには意外と寿司屋が多い件

旅をしていて驚かされるのが、「あれ?ここにも寿司屋?」という発見である。

そう、実は──
ヨーロッパの沿岸部には想像以上に寿司屋が多いのだ。

これはもはや旅人界隈では有名な「ヨーロッパあるある」である。

特に寿司出現率が高いのは、バルト海およびボスニア湾を取り囲む北欧諸国である。

やはり海沿いということで、なんとなく「魚=寿司」という連想が働きやすいのかもしれない。

なお、ネタはサーモン一択のこともある。

筆者もかつて、フィンランドの首都ヘルシンキで寿司ブッフェを体験したことがある。

そのときの衝撃的な感想を、こちらの記事にしたためている。

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フィンランド ヘルシンキ

興味のある方はぜひどうぞ(´っ・ω・)っ

戦争の傷痕、未だ癒えず

その日の夜、ビリニュスの伝説の安宿「5ユーロホステル」に帰還。

そして、そこに宿泊していた旅人たちと自然と食卓を囲む流れとなった。

我が友人エリはというと──

外国人との交流を全身で欲していただけに、その願いは見事に成就。

まるで夢でも見ているかのように、色んな国の人々と笑顔で話し、幸せそうに過ごしていた。


その場で撮った一枚がこちら

画面手前、紫のパーカーを着たリトアニア人男性。

コイツがやたらと親し気に”おれのエリに”(←これは完全にウソ)ちょっかいをかけていたのである。

実はこの男、のちにちょっとしたキーパーソンとなる。

筆者から見ても、エリは確かに愛らしい可憐な女の子であったが、

外国人男性からするとその魅力は3割増しどころか1.5倍速で輝いて見えたのではなかろうか。

ちなみに、写真の左右に映っている2人とも軽く会話は交わした記憶がある。

……が、詳細はまったく覚えていない。
これぞ旅の宿あるあるである。

ウクライナからの“本職”登場

宿泊しているみんな(6~8人くらい?)で食卓を囲みながら「We’re from Japan!」などと適当な英語で場を盛り上げていたところ、突然現れたのが、いかにも“ヤバそうな”風貌の大男。

一見して、「あ、この人、絶対関わっちゃいけないタイプの人間だ」と悟らされるその眼光。

だが実際には、悪気はまったく無い。

ただ、存在感が強すぎるのだ。

話を聞けば、なんとこの男──

「アフガニスタン戦争ではウクライナ軍の将軍だった」

という、どの口で「Hi」と挨拶したらいいかわからないほどの重みを背負っていた。


この宿、実にカオスな空間であった。

国籍も年齢も、旅の目的も異なる旅人たちが一つのテーブルを囲む。

そこに戦争経験者が加われば、それはもう世界の縮図である。

この夜、筆者たちはちょっとした争いに巻き込まれることになる。

まずは、筆者が当時書き残した記録をご覧頂こう。。

(前略)

でもちょっと前まで内戦とか紛争があった国、もしくは戦争で心身ともに傷を負った人たちが多いから。

日本人は異国人すぎて精神的なわだかまりなく仲良くなれるけど。

やはり、お互い出身地名乗ったらあからさまに敵対心むき出す人もいる←このおっちゃんね

アフガニスタンの戦争ではウクライナ側の将軍やってんて。

めっちゃ可愛い孫の写真とか見せてきて、ほんま話してても楽しかったけど、平和ボケした俺では計り知れない辛い事とか国家間のわだかまりを直に経験してはったんやなーと思った。

そこに旅する意味、一期一会の重要性を感じる。

(後略)

Ryo is in Vilnius, Lithuania.
Feb 4, 2017, 10:51 PM

ウクライナとリトアニアの間に何があったのか!!?

楽しく、平和なはずの夕食会であった。

それが、一瞬にして国際問題の前兆みたいな空気に変わったのである。

事の発端は、例のリトアニア人青年とおっちゃんウクライナ人。

お互いの出身地を名乗った、まさにその瞬間から空気がピリつき始めた。

ほんの数秒前まで一緒に「カンパーイ!」とか言ってたのに、いきなりである。

ほんまに急変である。

リトアニアとウクライナ──どうやら両国の間には、我々が知らない何かがあるようだ。

これはホステル恒例の自己紹介が招いた事故だった。

以下、その夜の状況を簡潔に図式化してみた。

  1. みんなで食卓囲んで晩ご飯
    (そう、これこそ旅だ!)
  2. 既にお酒でへべれけ気味の人も多かった
    (陽気な酔っ払い天国)
  3. 筆者とエリがどこ出身か訊かれてジャパンと答えた
    (この時のドヤ顔については謝罪する)
  4. 筆者が逆にみんなにどこ出身か訊いた
    (ホステルでは割と恒例行事)
  5. この2人が出身地名乗った名乗った瞬間、場の温度が-20℃
    (ミンナ・・トモダチ・・・)
  6. 初めは感情抑えながら「お前の国はちょっとこういうとこアレだよな?」的なマイルド批判が始まる
    (まだ平和、嵐の前の静けさ)
  7. そこからは5秒ごとに口調が荒くなる
    (ちょ待って、これ…あかんやつかも)
  8. 両者、ほぼ叫びながら罵倒
    (やめてーーーーーーーー)
  9. Eが止める
    (男が口出したら火に油や、あかん)
  10. 聞かない2人
    (この時点で周りの数人みんな消えてる)
  11. エリが渾身の気遣いで両方をなだめる
    (この子も結構ハート強いな)
  12. リトアニア人が鼻息荒くしながら部屋に帰って行った
    (おれらも早く部屋に帰りたい…)
  13. 筆者とエリ、気を遣ってそれからずっとおっちゃんウクライナ人の話を聞く
    (話長すぎるぜ)
  14. 伝家の宝刀「家族の話」を振る
    (勝利の方程式)
  15. 孫とか家族の写真引き出して笑顔になり決着
    (家族の威力よ!)

いやはや、この夜ばかりは本当にエリに救われた。

あの場にいた誰よりも肝が据わっていたのは、間違いなく彼女である。

リトアニア ビリニュス

リトアニアとウクライナ、元は同じソ連圏だし言語もある程度似てるんかな?

知らんけど、罵倒語の発音がめっちゃ似ていた気がした(怖)

まさに「旅は人との出会い」とは言うが、この夜ばかりは「国際緊張の現場」に居合わせたような気すらしたのであった。

リトアニアの伝統料理!!!

2月4日(土)の朝。

朝食は前日にスーパーで買い込んでおいた簡易食で済ませたので、昼は外食に出かけることにした。

目指すは地元の伝統料理を提供してくれる店。

旅先ではこれが基本である。

やってきたのは、「B6」という店。

看板の写真はこちら↓

ちなみに、あとでメニュー名を調べるためにFacebookのページを探し当てた。

現代の旅人にGoogle検索は必須装備である。

店に入ってまず放った言葉は、これだ。

「リトアニアの伝統料理をください」

このセリフ、旅中かなり多用した。
もはや呪文のようなものだ。

せっかくバルト三国に来て、スタバでカフェラテを飲んでいたら意味がない。

BULVINIAI BLYNAI (ブルヴィニアイ・ブリナイ?)

まず出てきたのは、

BULVINIAI BLYNAI(ブルヴィニアイ・ブリナイ?)

要するにじゃがいものパンケーキである。

見た目は地味だが、カリッと焼けた外側とホクホクの中身が絶妙に美味い。


(出典:Bulviniai blynai

「うむ、芋は正義である」と静かに頷いた。

しかし――

足りない。
もう一品、いこう。

ČENACHAI (チェナカイ?)

そして追加で出てきたのがこちら。

ČENACHAI(チェナカイ?)

こちらはミートシチュー。

鋳鉄製のポットに入って出てくるタイプで、

見た目:アツアツ

中身:ゴロゴロ

味:こってり

という三拍子。


(出典:Čenachai (arba tiksliau Čanachai)

もちろん、美味ではあった。
しかし食後の感想を一言で言えば──

「脂っこいッ!!」

やはり、寒冷地特有の料理というのは、体を温めるためか脂分と炭水化物に満ちている。

胃に重たいが、なぜか旅の記憶にはしっかり残っているあたりが、現地食の魅力だろう。

とにかく、芋と肉と脂。
これが、バルトの冬を生き抜くための伝統なのである。

いざ、ラトビアの首都リガへ

今回の旅でラトビアの首都リガに立ち寄る目的は、観光だけではなかった。

実は筆者には、リガに旧知の友人がいる。

2014年、ヨーロッパを独りで旅していたときのこと。

旧西ドイツの首都・ボンにあるユースホステルで出会った最初の友人が、ラトビア出身のマリスであった。

ドイツ ボン
ラトビア人のマリス

彼は筆者のひとつ上。

既に結婚して子どももおり、当時は「イギリスに出稼ぎに行く予定だ」と語っていた。

その語り口と明るさに、すぐに意気投合した記憶がある。

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ボン 西ドイツ 旅行記

今回の旅の前に、事前に彼にメッセージを送っておいた。

筆者「今度ラトビア行くからよろぴく」

マリス「オーケー、マイフレンド!」

という頼もしい返事が届いた。

こうして実に3年ぶりの再会が叶うこととなった。

リトアニア ビリニュス

ビリニュスからリガへはバスでおよそ4時間。

バス移動でもさほど時間はかからない。

バルト三国は全体的に移動距離が短いのがありがたい。

だが、移動や再会よりも、この国の空気感にインパクトがあったのは間違いない。

筆者とエリとマリスの3人でリガの街を散歩していた時のこと。

道路脇で警官がじっと土木工事を見つめていた。

それを見た筆者は、軽い冗談のつもりでこう言った。

「あの警官も土木工事に興味あるんやな(笑)」

すると、マリスは一瞬の間もなく、真顔でこう返してきた。

マリス「え、だって死体埋めてるかもしれないだろ?」

……この国のジョーク(?)は、一味違う。

そう、ここはラトビア。

バルト海の冷たい風が吹くこの国には、どこか重たく深い歴史の影がある。

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リトアニア ビリニュス
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